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戦後の台湾の地位主権問題に関しては、当時の台湾独立運動やアメリカの一部の者と意見が異なっていた。外交的なバックグラウンドを持つ魏道明は1947年12月28日、記者会見を行い厳しい言葉で「台湾は古来から中国の固有の領土で、既に中国に回帰している。しかし、一部の陰謀を企む者たちが、台湾を中国から再分裂させようとしている。中国政府と中国の人民は決してこれを認めない。もし少数の者たちがあえて天下の大悪事を行おうとするのならば、600万人の台湾人民と4億の中国大陸の人民は、中国の領土を無傷に維持するために血を流す犠牲を厭わないだろう」と、台湾独立はでたらめな主張であると強く非難した。
 
1947年11月、台湾省は中華民国第1回立法委員選挙と[[国民大会]]代表選挙を行った。翌[[1948年]]には、台湾のスポーツ選手たちから台湾省代表チームを編成し、上海で行われた中華民国第6回全国運動会に参加さた。台湾の人々に選挙を通じて中国の政治に参加させたりするなどして、中国の人民の主権を行使させた。
 
魏道明は台湾省政府で1年7ヶ月の間任務に就き、1948年末に職を辞してアメリカに渡った。これは、この頃の中国大陸での情勢と関係している。[[蒋介石]]の腹心である[[陳誠]]が後任の台湾省主席となり、[[1949年]]1月5日に交代した。