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[[成蹊中学校・高等学校|成蹊高等学校]]を経て[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]第2類([[公法]]コース)を卒業。東大法学部在学中に[[公務員試験#国家公務員試験|外務公務員試験]]に合格し、[[1965年]](昭和40年)に外務省入省。[[イェール大学]]で英語研修。
アメリカンスクール(英語研修組)のエースとして早くから嘱望されていた。[[1995年]](平成7年)、北朝鮮外交に対応するため、加藤がアジア局長に、同期でアメリカンスクールの[[折田正樹]]が北米局長に任命された。[[総合外交政策局#歴代局長|総合外交政策局長]]、[[外務審議官
加藤は入省直後から4回の在米勤務経験があり、外務省有数のアメリカ通として[[リチャード・アーミテージ]]など共和党系を中心に豊富な人脈を有していた。駐米大使としては戦後最長となる6年半にわたる任期を務め上げ、日米関係の発展に尽力した。アメリカの[[シンクタンク]]は加藤の功績を称えて「加藤良三記念賞」を創設した<ref>『[[選択 (雑誌)|選択]]』(選択出版) 2008年6月号 p18</ref>。
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