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{{日本の市
|画像 = Narita montagemontage2.jpg
|画像の説明 =<table style="width:280px; margin:2px auto; border-collapse: collapse">
<tr><td colspanstyle="2width:100%" stylecolspan="vertical-align:middle;2">[[成田山新勝寺国際空港]]第2ターミナル</tr>
<tr><td style="width:50%">[[成田スカイアクセス線]]と<br />[[印旛沼山新勝寺]]<td style="vertical-alignwidth:middle50%">[[宗吾霊堂成田ニュータウン]]の大本堂</tr>
<tr><td style="width:50%">[[成田市さくらの山]]公園<td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[宗吾霊堂]]の大本堂</tr>
<tr><td>[[成田国際空港]]<td>[[成田ニュータウン]]</tr>
</tr>
</table><br />{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=280|frame-height=240|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2}}
<tr><td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[旧学習院初等科正堂]]<td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[成田空港駅]]に到着する[[スカイライナー]]</tr>
</table><br />
</table><br />{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=280|frame-height=240|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2}}
|市旗 = [[ファイル:Flag of Narita, Chiba.svg|100px]]
|市旗の説明 = 成田[[市町村旗|市旗]]
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|鳥など = [[3月27日]]<br />空港(そら)交流(ふれあい)<br />希望(ゆめ)創造都市成田
|郵便番号 = 286-8585
|所在地 = 成田市花崎町760番地<br />{{fontsize|small|{{ウィキ座標度分秒|35|46|36|N|140|19|6|E|region:JP}}}}<br/>[[ファイル:Narita-city-office,japan.jpg|center|250px200px|成田市役所]]
|外部リンク = [https://www.city.narita.chiba.jp/ 成田市]
|位置画像 = {{基礎自治体位置図|12|211|FileName=ファイル:Narita in Chiba Prefecture Ja.svg}}
|特記事項 =
}}
'''成田市'''(なりたし)は、[[千葉県]]北部中央の[[印旛地域]]に位置する[[業務核都市]]。[[都市雇用圏]]における[[成田都市圏]]の中心都市である。[[国家戦略特区]]、国際教育推進特区<ref>{{Cite web|title=地域の特色等を生かした特別の教育課程を編成する学校の取組:文部科学省|url=http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gaikokugo/jouhou/tokubetsu.htm|website=www.mext.go.jp|accessdate=2019-05-20}}</ref>、国際観光モデル地区<ref>{{Cite web|title=1 国際交流の促進|url=https://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa62/ind000103/001.html#fig1-3-5|website=www.mlit.go.jp|accessdate=2019-05-20}}</ref>、[[国際会議観光都市]]に指定され、日本最大の[[日本の空港#%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A9%BA%E6%B8%AF|国際拠点空港]]<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.mlit.go.jp/common/000029664.pdf|title=「空港の設置及び管理に関する基本方針」の概要|work=6地理的、経済的又は社会的な観点からみて密接な関係を有する空港相互間の連携の確保に関する基本的な事項|format=|publisher=[[国土交通省]]|accessdate=2018-06-15}}</ref>を有する国際[[ビジネス]]・[[イノベーション]]の[[ハブ空港#拠点空港都市|拠点空港都市]]。歴史的町並みは[[門前町]]「成田」として[[日本遺産]]に認定されている<ref>「[[北総]]四都市[[江戸]]紀行・江戸を感じる北総の町並み」として2016年4月25日に認定</ref>。
'''成田市'''(なりたし)は、[[関東地方]]の東部、[[千葉県]]北部中央の印旛地域、[[下総台地]]に位置する[[人口]]約13万人の[[市]]。[[成田国際空港]]や[[成田山新勝寺]]などで知られており、国際ビジネス・イノベーションの拠点として[[国家戦略特区]]に指定されている他、[[業務核都市]]や国際会議観光都市にも指定されている。
 
[[財政力指数]]は日本全国813市区中第4位である<ref group="注">2014年度地方公共団体の主要財政指標一覧より</ref><ref>{{Cite web|title=総務省|地方財政状況調査関係資料|平成26年度地方公共団体の主要財政指標一覧|url=http://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/H26_chiho.html|website=総務省|accessdate=2019-03-12|language=ja}}</ref>。国際線旅客数および貿易額日本最大の[[成田国際空港]]や[[初詣]]の[[寺院]][[参拝]]客数日本一の[[成田山新勝寺]]などで知られており、市の観光入込客数は約1479万人、宿泊客数は約308万人と日本屈指の[[観光都市]]である<ref group="注">2017年の延べ数</ref><ref>成田市観光振興基本計画(平成29年度~平成33年度)、p17 [https://www.city.narita.chiba.jp/content/000056155.pdf 1https://www.city.narita.chiba.jp/content/000056155.pdf]</ref>。
== 概要 ==
[[成田山新勝寺]]、[[東勝寺 (成田市)|宗吾霊堂]]の二大[[霊場]]を有する[[門前町]]として栄えた。[[明治]]には[[宮内庁下総御料牧場]]が置かれるなど、[[1950年代]]まで[[観光]]と[[農業]]の振興を二大施策とした田園都市であった。[[1960年代]]に入ると市の南東部に「新東京国際空港」(現・成田国際空港)の建設が決定され、昭和53年([[1978年]])の成田空港の開港や昭和30年代から昭和40年代の[[高度経済成長]]とともに成田市の市域が拡大して[[経済]]発展して[[産業]]構造に多大な変化がもたらされる事になる。
 
== 概要 ==
かつては純農村であったが、現在では農業人口は減少し都市近郊農業型へと転換している。その反面、[[ゴルフ場]]や空港関連の[[サービス|サービス業]]など[[第三次産業]]が生まれ、新たな[[雇用]]が創出された。また観光面ではかつて程の活況は無くなりつつあるが、成田山新勝寺では現在も正月三が日だけで270万人以上、年間約1000万人もの参拝客で賑わう、全国屈指の霊場の町である。
古くから[[成田山新勝寺]]、[[東勝寺 (成田市)|宗吾霊堂]]の二大[[霊場]]を有する[[門前町]]として栄えた。[[明治時代]]には[[宮内庁下総御料牧場]]が置かれるなど、[[1950年代]]まで[[観光]]と[[農業]]の振興を二大施策とした[[田園都市]]であった。[[1960年代]]に入ると市の南東部に成田国際空港<ref group="注">旧称「新東京国際空港」(現・成田国際空港)</ref>の建設が決定され、昭和53年([[1978年]](昭和53年)の成田空港の開港や昭和30年代から昭和40年代の[[高度経済成長]]とともに成田市の市域が拡大し[[経済]]発展しての影響から[[産業]]構造に多大な変化がもたらされる事になる。現在では農業人口は減少し都市近郊農業型へと転換している。その反面、[[ゴルフ場]]や空港関連の[[サービス|サービス業]]など[[第三次産業]]が生まれ、新たな[[雇用]]が創出された。また観光面ではかつて程の活況は無くなりつつあるが、成田山新勝寺では現在も正月三が日だけで270万人以上、年間約1000万人もの参拝客で賑わう
 
成田空港の騒音であるが、空港用地の一部がかかにおける[[芝山町航空機]]など被害は見過ごされがち騒音であるのに対し、成田市街地からは離れた丘陵部に位置しているため、[[航空機]]の騒音被害を殆ど受けない地域も多い。航空機の騒音被害を受けるのは、空港の[[滑走路]]周辺と航路直下である。空港用地の大部分は成田市に属するため、[[固定資産税]]などの関連税収は成田市に入ることが多く、財政の豊かさは全国有数である。しかし、空港用地の一部がかかる[[航空機芝山町]]など騒音被害を受けるの、空港の[[滑走路]]周辺と航路直下見過ごされがちであるためのに対し、空港利益を独り占めしているという批判もある。なお2013年に開港35周年を迎えたが、現在も成田国際空港の完全開港はなされていない。現在、地域と共生する空港づくり掲げ、航空需要の増大に従う騒音問題などに向き合っている。なお、[[2013年]](平成25年)に開港35周年を迎えたが、現在も成田国際空港の完全開港はなされていない
 
[[1986年]](昭和61年)には一極集中の回避を目的とする業務核都市に指定され、千葉県からは千葉新産業三角構想の中核都市として位置付けられている。国の[[構造改革特別区域]]法に基づき[[2003年]]([[平成]]15年)[[4月21日]]に[[国際空港特区]]、同年[[5月23日]]には[[国際教育推進特区]]に認定された。[[2006年]](平成18年)[[3月27日]]、[[香取郡]][[下総町]]、[[大栄町 (千葉県)|大栄町]]を編入した<ref name="chibanippo2006328">{{Cite news |title=新4市・町 誕生祝う 香取市 県内初の自治区制導入 山武市 旧4町村、テープカット 新・成田市 NARITAナンバーを交付 横芝光町 2町合併、喜びかみしめ |newspaper=千葉日報 |page=16 |publisher=千葉日報社 |date=2006-03-28}}</ref>。
 
== 地理 ==
[[関東地方]]の東部、[[下総台地]]に位置し、成田山新勝寺およびその[[門前町]]を中心に展開している。東京から50km50キロメートル圏内、(成田国際空港は都心から65km65キロメートル圏内)県庁所在地の千葉市から30km30キロメートル圏内に位置する。面積は213.84&nbsp;km<sup>2</sup>平方キロメートル(県下6位)で、県土の4.1%。市の南西部に門前町(旧市街地)と[[ニュータウン]]が、南東部の丘陵地帯に成田国際空港がある。これらの地域を除くと殆どが農村地帯。市の西部にある[[印旛沼]]、北辺の茨城県との県境を流れる[[利根川]]から農業用水の取り込みを行っている。利根川は市民にとって重要な水源でもある。
 
;位置
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=== 地形 ===
千葉県北部中央の北総台地に位置する。標高は最低標高の1m(1メートル(安西地先)から最高標高の42m(42メートル(南三里塚地先)となっている。成田市の市域の5分の3の面積は海抜10m10メートルから海抜40m 40メートルの丘陵部であり、[[関東ローム層]]が地表を覆う高燥な台地となっている。残りは印旛沼や根木名川水系から入る浸食谷による平らな低湿地帯であり、土地利用も全く異なる。
 
台地部では山林と畑が混在し野菜畑や落花生畑、牧草地などに、低地部は豊かな水に恵まれ水田に利用されてきた。現在も美しい田園風景が広がっている。また、[[下総台地]]の崖下に市街地が広がっており、「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」に該当する急傾斜崩壊危険区域が市内に68箇所ある。成田層(固結した砂層)が雨水によって侵食され、固結粘土層との間にすべりを生じ関東ローム層とともに崩壊する事例が台風などによる大雨により発生する事が度々あり、擁壁工などの整備が進められている。
 
; 市域
: 広袤(こうぼう):東西20.1km1キロメートル 南北19.9km9キロメートル
; 自然
: [[一級河川]]:[[利根川]]、大須賀川、[[根木名川]]、[[派川根木名川]]、[[尾羽根川]]、荒海川、小橋川、取香川、十日川、派川十日川、竜台川
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=== 気候 ===
年間の平均気温は14.2℃2度、年間降水量は1429.1mm1ミリメートル年間通して比較的温暖な気候に恵まれる千葉県の中では寒冷な地域といえる。1月の最低気温の平均は[[千葉市]]で1.9度に対し、-2.4度で、しばしば過去最低気温が-5度以下となり、は[[1984年1]](昭和59年)1月20日に-10.7℃7度<ref>[http://www.jma-net.go.jp/narita-airport/kansoku/data/siryou/kyokuchi.htm 極値順位表 成田航空地方気象台]</ref>を記録している。春から夏にかけて南西の風が強く吹く事が多く、夜間に[[霧#発生要因による分類|放射霧]]が発生する割合が高い。霧が発生し易い理由として[[内陸性気候]]で気温の[[日較差]]が激しく、周辺の利根川、印旛沼、中小河川、耕地や水田などが多湿な状況を作り出している事が挙げられる。
 
* 成田市における平均月別気温と平均降水量
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反対闘争は強化され、ついには死者を出すなど、深刻な社会問題と発展し、現代史に残る[[三里塚闘争]]や[[成田空港問題]]となる。相次ぐ流血の惨事に成田市では「暴力行為の排除と信仰の町成田の平和と繁栄の為に市民の協力を願う」との主の声明を出す。こうした混乱の中、1978年(昭和53年)5月20日、全国から約13,000人の機動隊員が動員され、厳戒態勢の中、新東京国際空港が開港した。
 
その後、空港関連事業として、[[東関東自動車道]]の開通、内陸工業団地、[[成田ニュータウン]]が千葉県北総開発局(現・千葉県企業庁)によって造成され、現在では[[ベッドタウン]]化が進んでおり、人口も増加傾向にある。また、近年では[[百貨店]]や大型[[ショッピングセンター]]が市内に立地し、北総地域の商業都市としての一面もある。しかし、政府による空港建設の強行は、地域住民・日本国政府・地方公共団体との間の信頼関係を崩壊させ、用地買収も進まず、成田空港は開港から35年以上経つ今日でも完全開港が成されていない。そのため、成田市を始めとする周辺市町村からは[[アジア]]や[[世界]]に置ける日本の国際[[ハブ空港]]の地位低下を危惧する声も挙がり始めている
 
成田市を始めとする周辺市町村からは、[[アジア]]や[[世界]]に置ける、日本の国際[[ハブ空港]]の地位低下を危惧する声も挙がり始めている。また、未だ収束を見ない反対運動に伴う土地収用問題や、空港近隣住民の航空機による騒音問題など、成田市にとって、空港の完全開港化と地域と空港の共生が重要課題となっている。また、[[東京国際空港]](羽田空港)の再国際空港化に伴い、[[首都圏 (日本)|首都圏]]唯一の国際空港としての地盤沈下も危ぶまれつつある。
 
=== 沿革 ===
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* [[1958年]](昭和33年)[[9月27日]]: 台風22号([[狩野川台風]])により根木名川が氾濫。床上浸水17戸。その他耕地への冠水被害を出す。
** [[10月31日]]: 成田市役所新庁舎落成(それまでは旧成田町役場の物を使用)。
* [[1965年]](昭和40年)[[6月18日]]: 成田山新勝寺の第一額堂([[1821年]](文政4年)建立)が放火により焼失。
* [[1966年]](昭和41年)[[6月22日]]: [[佐藤栄作]][[総理大臣]](当時)から[[友納武人]]県知事(当時)へ、国・県有地を中心に極力民有地の面積を抑えて三里塚に新空港を建設したいとの協力要請がされる。突然の内定に建設予定地は大混乱に陥る。{{main|成田空港問題の年表}}
**[[6月25日]]: 県知事から[[藤倉武男]]成田市長(当時)に三里塚に新空港を建設したいと正式に協力を要請。同日、三里塚小学校にて新空港説明会を実施。大混乱となる。
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**[[2月15日]]: [[長豊橋]]が完成。これにより成田-江戸崎線が開通。茨城県と橋で繋がる。
** [[3月26日]]: 国鉄千葉 - 成田間が[[鉄道の電化|電化]]<ref name="newlifechiba19685">{{Cite journal |和書 |title=ご開帳でにぎわう成田山 千葉~成田間電化完成で乗り入れ |journal=ニューライフちば |issue=62 |pages=2-7 |publisher=千葉県広報協会 |date=1968-05}}</ref>。
** [[2月26日]]: [[三里塚芝山連合空港反対同盟]]と反日共系全学連が決起集会を行い、機動隊と衝突([[第1次成田デモ事件]])。
**[[3月10日]]: [[第2次成田デモ事件]]が発生し、[[TBS成田事件]]が起きる。
* [[1969年]](昭和44年)3月: 印旛沼開発事業竣工。
** [[5月7日]]: 国道51号線(佐倉 - 佐原間)が6年の歳月をかけ舗装化。
* [[1970年]](昭和45年)[[4月28日]]: 資材輸送専用線(国鉄成田駅から分岐、大株から土屋地先に至る約2.9km)9キロメートル)が一部開通(全通は8月31日)。
** [[8月18日]]: 新東京国際空港建設に伴い下総御料牧場閉場。以降空港建設反対運動が激化する。
** [[8月21日]]: 押畑に市総合運動場の第1期施設工事として大谷津運動公園野球場が開場。6万7000m<sup>2</sup> 7000平方メートルを造成して建設された。
* [[1971年]](昭和46年)[[2月22日]]〜[[3月6日]]: [[土地収用法]]に基づく[[第一次行政代執行]]。負傷者841名(うち重傷者43名)、逮捕者461名。
** [[8月21日]]: 押畑に市総合運動場の第1期施設工事として大谷津運動公園野球場が開場。6万7000m<sup>2</sup> を造成して建設された。
** [[9月16日]]〜[[9月20日]]: [[第二次行政代執行]]。この時機動隊側に3名の殉職者が出る。([[東峰十字路事件]])
* [[1972年]](昭和47年)[[4月1日]]: 成田ニュータウンへの入居が始まる。
** [[8月19日]] :[[新空港自動車道]](現・[[東関東自動車道]]) 富里IC - 成田IC間供用開始。
** [[11月25日]]: 京成電鉄、[[京成成田駅]] - 成田空港駅(現・東成田駅)間完成。
** [[12月21日]]: [[成田用水事業]]が国営事業として[[水資源開発公団]]により始まる。
* [[1973年]](昭和48年)[[4月30日]]: 成田空港A滑走路(4,000m)000メートル)完成。
** [[10月14日]]: 成田ニュータウンに中台運動公園がオープン。中台運動公園野球場が開場。
** [[10月15日]]〜[[10月18日]]: 第28回[[国民体育大会]](若潮国体秋季大会)の軟式野球(一般軟式)会場(大谷津運動公園野球場、中台運動公園野球場、成田高等学校野球場、西中学校野球場、中台中学校グラウンド)となる。
* [[1974年]](昭和49年)[[6月4日]]: 成田市公設地方卸売市場(青果部)開場。
** [[10月28日]]: 成田市は、空港関連事業の予算見通しが立たなくなり、財政困難に陥る。「非常事態宣言」を発令し財政再建対策委員会を設置。(成田空港開港と共に解消。以後好転に向かう。)
* [[1975年]](昭和50年)[[3月28日]]: 市制20周年記念事業として、成田国際文化会館が開館。
** [[4月1日]]: いずみ清掃工場が開設。収集日が週3日になる。
* [[1978年]](昭和53年)[[3月26日]]: 開港4日前の成田空港に空港反対派4千人が突入し、地下道に潜んでいた15人の行動隊が管制塔を占拠し、通信機器を破壊する「[[成田空港管制塔占拠事件]]」発生。[[3月30日]]の開港予定日が延期となる。
**[[5月12日]]: 新東京国際空港の安全確保に関する緊急処置法(現:[[成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法]])成立。
** [[4月1日]]: いずみ清掃工場が開設。収集日が週3日になる。
** [[5月1220日]]: 新東京国際空港の安全確保に関する緊急処置法(現:[[成田国際空の安全確保に関する緊急措置法]])成立、翌日より運行開始
** [[5月2021日]]: '''新東国際成[[スカイライナー]]が成田空港開港'''、翌日よ駅(現[[東成田駅]])乗運行開始入れ
** [[5月21日]]: 京成[[スカイライナー]]が成田空港駅(現[[東成田駅]])乗り入れ。
** 5月21日: 新空港自動車道 成田IC - 新空港IC間供用開始。
* [[1980年]](昭和55年)[[5月1日]]: 成田用水の幹線がほぼ完成。暫定通水開始。翌年本格通水。
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* [[1987年]](昭和62年)[[12月17日]]: [[千葉県東方沖地震 (1987年)|千葉県東方沖地震]] (M6.7) 発生<ref name="chibanippo19871219">{{Cite news |title=千葉県東方沖地震 後遺症重く、全県に 生活被害2万6000戸 県問題個所を総点検 |newspaper=千葉日報 |pages=1, 11-12, 14-15 |publisher=千葉日報社 |date=1987-12-19}}</ref>。成田空港など市内に被害が出る<ref name="chibanippo19871219-15">{{Cite news |title=成田空港の被害は約二億円 |newspaper=千葉日報 |page=15 |publisher=千葉日報社 |date=1987-12-19}}</ref>。
* [[1988年]](昭和63年)
** [[3月18日]]: [[東京都東部地震]] (M6.0) 発生。市内の高速道路、河川堤防に亀裂が生ずる被害が出る。
** [[4月28日]]<ref name="chibanippo1988427">{{Cite news |title=成田山新勝寺あすから記念開帳 稚児行列など多彩な催し |newspaper=千葉日報 |page=12 |publisher=千葉日報社 |date=1988-04-27}}</ref> - [[5月28日]]: 成田山開基1050年祭記念開帳<ref name="asahi1988529">{{Cite news |title=ちょうちん行列で幕 成田山新勝寺開帳 |newspaper=朝日新聞 |page=29 |publisher=朝日新聞社 |date=1988-05-29}}</ref>。
** [[9月14日]]: [[咸陽市]]と[[友好都市]]提携に調印<ref name="chibanippo1988915">{{Cite news |title=成田市と中国・咸陽市 友好都市協定書に調印 60年からの交流実る |newspaper=千葉日報 |page=12 |publisher=千葉日報社 |date=1988-09-15}}</ref>。
** [[11月7日]]: 成田市役所新庁舎落成。業務開始<ref name="chibanippo19881030">{{Cite news |title=国際空港都市・成田の新庁舎が完成 和洋折衷で市のシンボルに 11月7日から業務 |newspaper=千葉日報 |page=5 |publisher=千葉日報社 |date=1988-10-30}}</ref>(現庁舎
* [[1990年]]([[平成]] 2年)[[10月6日]]: [[サンブルーノ|サンブルーノ市]]と[[姉妹都市]]提携に調印<ref name="chibanippo1990107">{{Cite news |title=成田市に2つ目の姉妹都市 咸陽に次ぎ、米サンブルーノ 両市長、合意書に調印 |newspaper=千葉日報 |page=14 |publisher=千葉日報社 |date=1990-10-07}}</ref>。
* [[1991年]](平成 3年)[[3月19日]]: 成田空港駅までJR・京成電鉄が開通<ref name="asahi1991319">{{Cite news |title=都心と空直結 成田空港地下駅が開業 |newspaper=朝日新聞 |page=夕刊 1 |publisher=朝日新聞社 |date=1991-03-19}}</ref>。
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* [[1994年]](平成 6年)[[10月11日]]: [[成田空港問題円卓会議]]が終結<ref name="chibanippo19941012">{{Cite news |title=元熱田派、調停受け入れ 話し合いの場は共生懇に |newspaper=千葉日報 |pages=1, 2, 18, 19 |publisher=千葉日報社 |date=1994-10-12}}</ref>。
* [[2000年]](平成12年)[[5月24日]]: 成田市を含む26市町村に降[[雹]]による被害が出る。市内では、負傷者1名、建物一部損壊103棟、床上浸水2棟、床下浸水6棟。
* [[2002年]](平成14年)[[3月21日]]: 佐野地先で林野火災が発生。山林3ha3ヘクタールが焼失する。
** [[4月18日]]: 成田空港暫定平行滑走路(B滑走路)供用開始<ref name="chibanippo2002418">{{Cite news |title=暫定滑走路きょうオープン 成田、曲折経て「第2の開港」 “離陸”も課題残す |newspaper=千葉日報 |pages=1, 4, 14, 18-19 |publisher=千葉日報社 |date=2002-04-18}}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)[[10月13日]]: 成田市・茨城県神栖町(現・[[神栖市]])で[[ダウンバースト]]による突風被害が発生。赤荻地区、宗吾地区などで、物置の倒壊、屋根瓦が飛ばされる被害が出る。規模は[[藤田スケール]]F1と推測される。
* [[2004年]](平成16年)[[11月13日]]: 成田市制施行50周年記念式典が成田国際文化会館で執り行われる。
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* [[2008年]](平成20年)[[9月27日]]: 成田山新勝寺表参道の道案内となるモニュメント「時空の舞(ときのまい)」除幕式<ref name="chibanippo2008929">{{Cite news |title=6メートルのモニュメント出現 成田市設置 表参道入り口分かりやすく |newspaper=千葉日報 |page=16 |publisher=千葉日報社 |date=2008-09-29}}</ref>。
* [[2009年]](平成21年)
** [[10月22日]] 成田空港B滑走路が当初の計画より北側へ延伸され2,500m500メートル化、供用開始<ref name="chibanippo20081022">{{Cite news |title=NARITA2010 2500メートルB滑走路きょうから供用 新時代を迎える「成田国際空港」 |newspaper=千葉日報 |pages=1-4 |publisher=千葉日報社 |date=2008-10-22}}</ref>。
* [[2010年]](平成22年)
** [[2月5日]]: 成田市の第1回成田空港成長戦略会議を開催<ref name="chibanippo201026">{{Cite news |title=成田空港に外部識者が直言 市の成長戦略会議、初会合 |newspaper=千葉日報 |page=16 |publisher=千葉日報社 |date=2010-02-06}}</ref>。
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** [[10月13日]]: 「成田空港に関する四者協議会」において、成田空港の年間発着容量30万回への容量拡大について国・千葉県・空港周辺9市町およびNAAの四者で合意。
* [[2011年]](平成23年)
** [[3月11日]]: [[東北地方太平洋沖地震]](M9.0)により市内で震度6弱を観測。重傷者1名、建物全壊4棟、半壊64棟、一部損壊1,286棟、断水232戸、停電、道路損壊などの被害を出す<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.chiba.lg.jp/bousai/h23touhoku/20121101-208.html |title=平成24年11月1日 東日本大震災について(第208報) |work=千葉県防災危機管理部危機管理課 |publisher=千葉県 |date=2012-11-01 |accessdate=2016-09-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130404043046/http://www.pref.chiba.lg.jp/bousai/h23touhoku/20121101-208.html |archivedate=2013-04-04}}</ref>
* [[2012年]](平成24年)
** [[12月13日]]: 成田空港A滑走路が開港以来初の4000m4000メートル全面運用を開始。
* [[2013年]](平成25年)
** [[3月31日]]: 成田空港が年間発着容量27万回化し、[[オープンスカイ協定]]を導入<ref name="chibanippo201341">{{Cite news |title=LCC成田-大分線 初の就航 27万回化 オープンスカイも |newspaper=千葉日報 |pages=1, 18 |publisher=千葉日報社 |date=2013-04-01}}</ref>。
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* 成田国際空港関連の詳しい歴史に関しては[[成田国際空港#歴史|成田空港の歴史]]の項目を参照のこと。
* 成田空港開港直後の1980年の成田市の人口は68,418人であり、2007年までに3万人程度増加している。その殆どが市外からの転入者であり、当時の関係者の高齢化と供に成田空港問題を知らない住民が増えた事が成田空港問題の風化を早めていると言う指摘がある。1995年に誕生した第4代[[小川国彦]]・市長はその象徴であり、元社会党国会議員・一坪運動の地権者の一人(=用地収容反対運動)として登記された人物である。
* 成田空港建設に伴い、成田空港反対運動([[三里塚闘争]])などの犠牲者として警察官4人が殉職、民間人6名が死亡している。当初、農民が農地を守る事から始まった運動だったが、[[極左]]暴力集団(過激派)などの介入で過激化、長期化し、現在でも過激派による空港や空港関連機関、空港関係者に対する[[テロ]]や[[ゲリラ]]事件が問題となっている。こうした中、成田市議会では平成9年11月、市内で起きた[[芝山鉄道]]専務宅で発生した爆破事件をきっかけに、同年12月10日「'''過激派暴力集団の排除等に関する決議'''」を決議し、極左暴力集団の一掃と根絶を図る事を要望した。また、成田市議会の他に、県内27市議会、千葉県議会、芝山町議会他51町村議会、山武郡市町村会及び [[JFEスチール]]千葉協力会など203団体が同じく「極左暴力集団排除決議」を決議している。
 
=== 平成の大合併 ===
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: JR成田駅の西側に広がるのが成田ニュータウン地区である。当初、主に成田空港や空港関連企業で働く従業員向けに計画されたが、現在では成田から東京都心、千葉市をはじめとする千葉県北西部へ通勤する住民も多い。門前町と比較して、新しく成田市に引っ越してきた住民が多いのが特徴である。又、成田市の人口のうちで最も大きな割合を占める。現在では公共施設も移転しており、成田警察署・成田税務署・郵便局・総合運動場・ハローワーク・図書館・保健所・急病診療所等が成田ニュータウン地区に位置している。
; [[公津の杜]]
: 面積117.3ha3ヘクタール 計画人口11,740人
: 1986年から「成田市公津東土地区画整理組合」によって京成電鉄本線の新駅を中心に全体として複合的な都市開発を目指し区画整理された地区。1994年4月1日に京成電鉄・公津の杜駅を新設。その後、駅前商業エリアに[[ユアエルム]]成田店が1999年12月にオープンした。人と人、人と街の「交流」を目指した「人間にやさしい街づくり」をテーマに、県下有数のグレードの高い街づくりに取り組んでいる。また、旧建設省から「ふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業」に指定されており、千葉県内では京成成田駅東口土地区画整理事業が最初で公津の杜は、この事業が2番目の指定となっている。
; 美郷台(郷部)
: 面積60.2ha2ヘクタール 計画人口6,020人
: 1980年から「成田第一土地区画整理組合」によって区画整理された地区。成田第一と言うのは成田市で最初の組合施行による土地区画整理事業だった為。現在では中心通りに商業施設が並ぶ新興住宅街。法務局はこの地区内に移転した。
; [[ウイング土屋]]
: 国道408号と根木名川にはさまれた面積37ha37ヘクタールの商業地域であり商圏は茨城南部まで及ぶ。商業地域であるため計画人口は僅か180人に留まる。農村地区と旧市街地との境界地に位置し、大型ショッピングセンターをはじめ映画館・飲食店・各種店舗が存在する。もとは、成田空港の旧資材輸送基地として提供され、その後[[ケロシン|ジェット燃料]]暫定輸送の燃料中継基地として活用された。その後、新東京国際空港公団所有地を含めた11haとその周辺の水田を造成してできた地区。接道の国道408号線を東へ向かうと成田空港に至り、ウイング土屋と成田ニュータウンの間に美郷台が位置する。また、同地区には、[[京成成田空港線]]の新駅「土屋駅(仮称)」用の駅前広場用地が用意されており、新駅設置に向けて署名活動や国や県、運行主体となる京成電鉄に要望(陳情)などを行っているが、未だ計画では何も触れられていないのが現状である。市では、近隣ショッピングセンターに車を駐車し、駅から電車で通勤する「[[パーク・アンド・ライド]]」構想をしている。
; [[成田はなのき台|はなのき台]]
: JR成田駅西口から約2.5km5キロメートル、成田ニュータウンに隣接した面積37.6ha6ヘクタールの住宅地。「成田市公津西土地区画整理組合」によって2001年から区画整理された地区。四季折々緑豊かな公園が整備され、商業施設や医療施設を誘致を行うなど魅力ある街作りに対して2011年に国土交通大臣より「まちづくり功労者国土交通大臣表彰」を受賞した。
; その他
:京成成田駅構内から成田市役所奥方に見える住宅地は、富里市[[日吉台ニュータウン|日吉台]]。こちらも成田空港周辺ニュータウンという事では性格を同じくする。
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====治安・交通事故====
成田市の治安状況は、平成14年度の刑法犯認知件数4,042件<ref>{{Cite web |url=http://www.city.narita.chiba.jp/DAT/000081391.pdf |title=第2次防犯まちづくり推進計画(素案) |format=PDF |work=交通防犯課 |publisher=成田市 |date=2011-03 |accessdate=2016-09-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130721185122/http://www.city.narita.chiba.jp/DAT/000081391.pdf |archivedate=2013-07-21}}</ref>を記録し、平成15年より治安悪化の煽りを受けて成田防犯連合会が組織され、犯罪の予防警戒、自主防犯活動、青少年非行防止及び健全育成のための活動などが行われている。また、成田市交通防犯課では防犯パトロールカー(白黒塗装)で市内を巡回し防犯を呼びかけるアナウンスを流すなどし、現在は認知件数は減少傾向にある。しかし、平成24年刑法犯認知件数では1,804件と前年度比で61件増加しており、窃盗件数が依然として高い数値が見られる。印旛エリアでは人口17万2千人(平成24年12月1日現在住民基本台帳人口)の佐倉市(1,621件)を抜きワースト1位となっている。
しかし、平成24年刑法犯認知件数では1,804件と前年度比で61件増加しており、窃盗件数が依然として高い数値が見られる。印旛エリアでは人口17万2千人(平成24年12月1日現在住民基本台帳人口)の佐倉市(1,621件)を抜きワースト1位となっている。
 
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=== 高速バス===
; 大阪なんば・[[京都駅]]八条口 - [[秋葉原駅]]・成田空港・銚子線
: 夜行高速バス。市内では、大栄、成田空港第2ターミナル、第1ターミナル、京成成田駅の各駅に停車する。[[千葉交通]]と[[南海バス]]による共同運行。
; [[犬吠号 (高速バス)|犬吠号・利根ライナー]]([[浜松町駅]]・[[東京駅]] - 大栄 - 東芝町([[銚子駅]]入口)・[[犬吠埼]]太陽の里・[[千葉科学大学]])
: [[浜松町駅]]、[[東京駅]]と[[銚子市]]とを結ぶ路線。市内では、大栄に停車する。[[京成バス]]と千葉交通による共同運行。
; 東京 - 芝山・匝瑳線
: 東京駅と[[匝瑳市]]とを結ぶ路線。市内では、三里塚公園、住宅入口の各駅に停車する。[[JRバス関東]]と千葉交通による共同運行。
; 京成成田駅 - 東京ディズニーリゾート線
: 京成成田駅、公津の杜駅から[[東京ディズニーリゾート]]とを結ぶ路線。片道のみ1便運行。千葉交通による運行。
その他、成田空港から各方面へ高速バスが運行されている。詳しくは[[成田国際空港#バス|成田空港のバス]]の項を閲覧のこと。
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=== 早朝直行バス===
; 成田市内 - 東京駅・浜松町線
: 土曜・日曜・祝日の早朝に成田駅、成田市内と東京駅、[[浜松町バスターミナル]]とを結ぶ路線。[[千葉交通]]による運行。
; 成田市内 - 成田空港線
: 早朝に京成成田駅、松原から成田空港第2旅客ターミナルとを結ぶ路線。片道1便のみ運行。千葉交通による運行。
 
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=== 成田空港アクセスの改良計画 ===
==== 鉄道 ====
* 「'''[[京成成田空港線|成田スカイアクセス]]'''」(成田新高速鉄道プロジェクト)が、[[2010年]]7月17日に開業(線路の建設および保有は[[成田高速鉄道アクセス]]。運行会社は[[京成電鉄]]の[[上下分離方式]]。)。[[北総鉄道北総線|北総線]]経由で都心と成田空港間を[[スカイライナー]]で30分台で結ぶものであり、具体的には[[印旛日本医大駅]]から[[成田空港高速鉄道]]接続点(土屋地区)までの路線新設ならびに既存路線の設備改良計画である。
* 成田市は千葉県及び茨城県の8市町村(成田市、[[柏市]]、我孫子市、[[白井市]]、[[印西市]]、栄町、[[利根町]]、河内町)で構成されている[[成田線複線化委員会|成田線複線化促進期成会]](我孫子 - 成田)の会員であり、成田線の複線化、成田空港へのアクセス向上(成田スカイアクセス[[成田湯川駅]]との交差部への新駅の設置)の早期実現に向けて活動している。
 
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== 報道機関・出版・放送局 ==
航空機によるテレビ受信障害を防ぐ為、1993年(平成5年)11月18日「成田テレビ中継放送局」が成田市大袋に開局された。このテレビ放送中継局は、[[東京タワー]]からの電波を受信して [[UHF]]電波として再送信している。受信できる範囲は、成田市を含む57,230世帯となっている。また、高さは200m 200メートルと成田市で一番高い建物でもある。その他、「佐原テレビ中継放送局」(香取市、1995年1月20日開局)、「下総光テレビ中継放送局」(横芝光町、1995年3月16日開局)、「江戸崎テレビ中継放送局」(茨城県[[稲敷市]]、1995年2月28日開局)があり、全4施設で約8万世帯を対象としている。
 
2011年7月24日の地上デジタル放送への完全移行後は、航空機によるフラッターの影響は受けにくいという事から2015年7月より鉄塔の解体作業が行われているが、天候や場所によっては地上デジタル放送を受信出来ない場合も有り、問題も残されている。
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== 市内で起こった主な事件・事故 ==
* [[三里塚事件]] : 1954年(昭和29年)2月17日
* [[千葉県警察成田警察署爆破事件]] : 1971年(昭和46年)8月7日
* [[東峰十字路事件]] : 1971年(昭和46年)9月16日
* [[成田空港管制塔占拠事件]] : 1978年(昭和53年)3月26日