「市川崑」の版間の差分

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[[有馬稲子]]と不倫関係を持ち、後に有馬は堕胎したことを有馬自身が書いている<ref>[http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201004220040.html 有馬稲子が市川崑監督との不倫、堕胎告白] - asahi.com (2010年4月22日) 2012年4月9日閲覧。</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20100422-620902.html 不倫中絶を告白...有馬稲子が市川崑監督と] - nikkansports.com (2010年4月22日) 2012年12月13日閲覧。</ref>。
 
[[キネマ旬報社]]の叢書「世界の映画作家」では、ついに最後まで『採り上げられなかった』。東宝争議では離脱派の助監督の先頭にたったことは長く尾を引き、その後、右派的な言動や作品はほとんど無かったにもかかわらず、左翼系の評論家(特に日本共産党系)には後年まで目の仇にされていた。黒沢明は、市川崑について、金を生み出すことばかり考えていると指摘した。この年代の監督かなり名声を得るようになってからも、いうよりむろ逆に初期作品のような風刺映画影をひそめ、社会的テーマを前面に打ち出似掲げるようなことを排除た作品がほとんど存在せず、娯楽と利益追求がメインだっていた。こうしたこともあって、市川作品を嫌う批評家も多く、[[蓮實重彦]]、[[山根貞男]]らは全く認めようとしなかった。逆に市川を高く評価し続けた批評家としては、「超の字がつく巨匠」と追悼文を書いた[[浦崎浩實]]をはじめ、[[佐藤忠雄]]、[[双葉十三郎]]らがいる。[[荻昌弘]]も、市川作品の中ではほとんど無視に近い扱いを受けている『病院坂の首縊りの家』『竹取物語』を映像限定で絶賛する一文を書くなど好意的であった。娯楽に徹するという姿勢では、[[石上三登志]]、[[森卓也]]らその志向を支持する方面からの評価も高い
 
皮肉屋の一面もあった。そのため、まったくそりの合わなかった一人に『股旅』の主演者・[[萩原健一]]がいる。 『日本映画[監督・俳優]論』では、萩原が顔をハチに刺された際に「すいません」と謝ると、市川昆は「おまえ、長谷川一夫じゃねえんだろ」と冷酷に言い放ったという<ref>日本映画監督・俳優論」107ページ</ref>。萩原は、遠まわしな批判から始めて話しているうちに、不愉快な経験を思いだし、「大嫌い、市川崑」と述べている。