「パリ大賞典」の版間の差分

パリロンシャン競馬場の改称に伴う編集。本文部分は全て旧称時代の出来事のため、そのままにする。
(パリロンシャン競馬場の改称に伴う編集。本文部分は全て旧称時代の出来事のため、そのままにする。)
|画像 = [[File:Arrivee Juddmonte Grand Prix de Paris 2012 Hippodrome de Longchamp.JPG|250px]]
|画像説明 = 2012年パリ大賞典
|開催地 = [[パリロンシャン競馬場]]
|施行時期 = 7月13日(2014年)
|格付け = G1
}}
 
'''パリ大賞典''' (パリだいしょうてん、'''Grand Prix de Paris''') は[[フランス]]・[[パリロンシャン競馬場]]で芝2400メートルで施行する[[競馬]]の[[競馬の競走|競走]]。
==概要==
フランスに初めて設けられた、当時としては唯一の国際競走で、フランスとイギリスの一流の3歳馬の対決の舞台として1863年に創設された。この時代はフランスとイギリスがしばしば戦火を交えていた時代で、競馬に関してはイギリスに遅れを取っていたフランスにとって、パリ大賞典は仇敵イギリスと対決してこれを破る格好の舞台だった。
**施行距離を2000メートルから2400メートルに延長
**この年から施行日を[[7月14日]]([[フランス革命]]記念日)に固定(2013年・2014年を除く)
*[[2016年]] ロンシャン競馬場の改修工事のため、この年と翌年の2年間[[サンクルー競馬場]]で施行
*[[2018年]] 改修・改称されたパリロンシャン競馬場での施行が再開される。
 
===フランス近代競馬の興り===
モルニー公は将来のパリの発展を見込んでパリ郊外の土地を買い占め、邸宅を構えていた。ナポレオン3世はブローニュの森を改造し、[[ロンドン]]の[[ハイド・パーク (ロンドン)|ハイドパーク]]のような壮麗な庭園を造営することを思いついた。モルニー公は、所有地を売り払った資金でブローニュの森よりさらに郊外のロンシャン平原の土地を買い占めた。その土地をさらに国費で高く買い上げることで、モルニ公は莫大な利益を、王室は念願の造園用地を手に入れた<ref>『華麗なるフランス競馬』p221-226</ref><ref>『凱旋門賞の歴史』第一巻p10-14</ref>。
 
26歳にしてジョッキークラブのメンバーに名を連ねていたモルニ公爵は、完成した庭園に客を呼び込む手段として、ロンシャン平原に競馬場を作ることを思いついた。これによって、シャンティ競馬場とシャン・ド・マルス競馬場の問題も解決するように思われた。こうして1856年にブローニュの森に隣接して[[ロンシャン競馬場]]が誕生した。1857年の春に初めて開催された競馬には大観衆が詰めかけて大成功をおさめた。競馬は春と秋の2回行われ、秋開催では「グランプリ」が「[[グラディアトゥール賞#アンペリアル大賞|帝国大賞(アンペリアル大賞、Grand Prix Impérial)]]」と名を変えて行なわれた<ref>『競馬の世界史』p178-180</ref><ref>『凱旋門賞の歴史』第一巻p10-15</ref>。
 
===パリ大賞典の計画===