「沖縄戦」の版間の差分

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2007年10月16日付産経新聞東京朝刊、大阪朝刊には「米軍施政下 『沖縄戦の真実』封印 検定撤回は将来禍根」(東京朝刊第1頁 総合第1面、2,416字)などが掲載されていますが、このような話は産経新聞のどこにも掲載されていません。出典を偽装した上での悪辣かつ狡猾な捏造による意図的な虚偽記載ですので、当該記述は根こそぎ除去しました。
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「.htm」→「.html」
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住民殺害の動機は、スパイ容疑での処刑が中心で、そのほか物資や壕を巡る日本兵と住民の争いで殺害された事例や、地下壕の探知を避けるために泣き声の止まない子供を殺害した事例などもある<ref>[[#大田昌秀b|大田昌秀(1982年)]]、206頁。</ref>。このような事態に至った原因について、極限状態で不可避というだけの問題ではないとの見方もある。一因として、日本兵が住民に対し、愛国心や武を尊ぶ精神に欠けると見て不信感を抱いていたことや、軍民一体化と防諜のため、[[琉球語|沖縄語]]の使用が禁止され、その使用者を処分する方針であったこともある<ref>[http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf 沖縄戦に関する私見,山梨学院大学 我部政男,平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について,資料(14)] 「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ、沖縄語ヲ以テ談話シタル者ハ間諜トミナシ処分ス」(球軍会報)</ref>。また、スパイ容疑での処刑については、アメリカ軍収容下に入った住民が食糧集めに駆り出されているのを、アメリカ兵を日本兵の隠れ家へ誘導しているものと戦場の混乱の中で誤解したことが一因ではないかと推定されている<ref>[[#大田昌秀b|大田昌秀(1982年)]]、180-181頁。</ref>。第32軍の沖縄南部への撤退は、戦火を逃れて避難していた沖縄市民の唯一の防護手段を奪うものであって、軍と民間人が混然となることにより、民間人に多くの災厄が降りかかることとなったが、この第32軍の失敗は、琉球人に対する日本の植民地主義的態度と政策に根差していたものという指摘もある<ref>{{Harvnb|ファイファー|1995b|p=275}}</ref>。
 
こういった事例が強調されていることに対し、沖縄戦に参加した日本軍兵士からの反論もある。[[嘉数の戦い]]に参加した兵士の一人(独立歩兵第13大隊所属)は、「戦後、日本軍は沖縄県民に犠牲を強いた悪い兵隊だと宣伝された。しかし私の知るほとんどの下級兵士は自分の命など眼中になく、洞窟に潜んで助けを求める県民のため身を挺して戦った。」<ref>sapio2013年09月号</ref>と述べている。いうまでもなく、すべての日本兵が残酷であったわけではなく、沖縄市民と仲良く付き合い善行も行い、犠牲を払った兵士もいた。例えば、沖縄本島の南端の海岸まで追い詰められた、ひめゆり学徒隊の与那覇百子らが手榴弾で自決しようとしたときに、日本軍の敗残兵数人から自決を止められている<ref>{{Harvnb|ファイファー|1995b|p=274}}</ref>。ひめゆり学徒隊の自決を思いとどまらせた日本兵は、彼女らが持っていた手榴弾で自決している<ref name="ryukyu20150301">「[https://ryukyushimpo.jp/movie/prentry-239645.htmhtml <未来に伝える沖縄戦>壕に爆弾、先輩が即死 与那覇百子さん(86)下]」『[[琉球新報]]』2015年3月1日</ref>。
 
=== 連合軍による住民の扱い ===