「織田信右」の版間の差分

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| 氏族 = [[織田氏#信雄(信長次男)の末裔|織田氏(信雄系信良流)]]
| 父母 = 父:[[織田信就]]
| 兄弟 = [[織田信房 (小幡藩嫡子)|信房]]、[[織田信常|信常]]、[[織田信乗|信乗]]、'''信右'''、[[織田長顕|長顕]]、[[織田信富|信富]]、[[津田長季]]、[[津田正春]]正室ら8男3女
| 妻 = 正室:'''[[松平頼明 (常陸府中藩主)|松平頼明]]長女'''
| 子 = [[織田信賁|信賁]]、[[織田信尹 (織田信右息)|信尹]]、呉姫、[[九鬼隆貞]]継室<br>養子:'''''[[織田信富|信富]]'''''
| 特記事項 =
}}
 
'''織田 信右'''(おだ のぶすけ)は、[[江戸時代]]中期の[[大名]]。[[上野国]][[小幡藩]]5代藩主。通称は左膳。[[官位]]は[[従四位|従四位下]]・[[若狭国#江戸時代|若狭守]]、[[兵部省|兵部大輔]]。
 
== 生涯 ==
4代藩主・[[織田信就]]の四男。初名は'''長賢'''。
 
信就の四男であったが、長兄の[[織田信房 (小幡藩嫡子)|信房]]、次いで三兄の[[織田信乗|信乗]]が病気を理由に廃嫡され、次兄の[[織田信常|信常]]も多病で相続を辞したため、[[享保]]15年([[1730年]])10月16日に嫡子になった。同年11月15日、8代将軍・[[徳川吉宗]]に[[御目見]]し、12月18日従五位下若狭守に叙任する。後に従四位下に昇進する。