「カール・ルエーガー」の版間の差分

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こうした半面、ウィーンのガス、水道、電気など公共施設の拡充に尽力してそれを市営化し、[[市街電車]]を設立、教育事業を拡大したり、福祉設備を建てるなどの都市整備を行い、ウィーンの大都市化と都市生活の近代化に貢献した。党が保守化して民族主義的になる一方、ルエーガー本人は民族融和主義の考えを述べたこともあり、帝国改革の考えも持っていたとされる。
 
圧倒的な人気は、その死まで衰えなかった。現代のウィーンには、「ドクター・カール・ルエーガー広場」、「ドクター・カールルエーガーリンク」というルエーガーの名のついた広場や通り(道路)がある。
 
== 脚注 ==