「全日空羽田沖墜落事故」の版間の差分

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ただ、同様の操縦ミスが墜落の原因となったことは他にも多く起きていたものの、第3エンジンの脱落が原因の墜落や、グランド・スポイラーが異常作動し墜落したという事故は、この事故以外にはボーイング727において皆無であった。いずれにしてもこうした対立や決定的な原因を見つけられずに、事故調査報告書の決定までは約4年を要し、その間ずっと事故機の残骸は羽田空港の格納庫の一角に並べられたままになっていた。
 
== 教訓事故後 ==
この事故をきっかけに、日本国内で運航される全ての旅客機に、[[ブラックボックス (航空)|ブラックボックス]]の装備が義務づけられた。<!-- mach214 -->また、この事故以降は[[飛行計画|フライトプラン]]に沿って計器飛行方式で飛行するのが原則になったという<ref name=mach214>マッハの恐怖 新潮文庫 214頁</ref>。
 
また1年に2度の全員死亡事故を起こした全日空は経営困難に陥り、[[フラッグキャリア]]の[[日本航空]]から、社長以下大量の人員と株主第2位に至るまでの金銭的な支援を受けて<ref>「田中角栄研究―全記録」P186 講談社文庫 立花隆著</ref>、[[1970年代]]に至るまで[[経営再建]]を受けることになった。
 
== 備考 ==