「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」の版間の差分

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大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国はかつて反欧米、反[[イスラエル]]のアラブ最強硬派の国家であった。[[1970年代]]や[[1980年代]]には欧米やイスラエルで数々のテロを引き起こした(或いは[[過激派]]のテロの支援をしてきた)。このため欧米などから「テロ国家」と非難されてきた上、また核兵器の開発も秘密裏に進めていた。
 
[[1984年]]には[[ロンドン]]のリビア大使館員が路上で反政府デモを行っていたリビア人に大使館内から銃を発射し、デモの[[警備]]を行っていた[[スコットランドヤード]]の女性[[警察官]]イヴォンヌ・フレッチャーが死亡した。その後イギリスはリビアとの国交を断絶した。[[1985年]][[6月14日]]には[[トランス・ワールド航空]]機が[[ハイジャック]]に遭い人質が殺害され([[トランスワールド航空847便テロ事件]])、同年[[10月7日]]には[[イタリア]]の客船をリビア人が[[シージャック]]しユダヤ系[[アメリカ人]]人質1名を殺害([[アキレ・ラウロ号事件]])、同年[[12月27日]]には、[[ローマ国際空港]]と[[ウィーン国際空港]]で同時に銃乱射や[[手榴弾]]投擲によるテロ事件が起きた([[ローマ空港・ウィーン空港同時テロ事件]])。
 
さらに[[1986年]]4月にもトランス・ワールド航空機が爆破テロに遭い(トランスワールド航空840便テロ事件)、[[アメリカ合衆国]]はこれらの一連のテロがリビアの政府の支援のもと行われていたと断定し、[[4月15日]]にシドラ湾に展開した[[空母戦闘群]]からリビアの最高指導者カッザーフィーを狙って空爆([[リビア爆撃 (1986年)|リビア爆撃]])を実施している。1988年の[[パンアメリカン航空103便爆破事件|パンナム機爆破事件]]では国際連合に[[経済制裁]]を課せられてしまうなど国際社会から完全に孤立化した。