「断髪令 (朝鮮)」の版間の差分

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'''断髪令'''(だんぱつれい、{{lang|ko|단발령}}、タンバルリョン)は、[[1895年]][[12月30日]](旧暦11月15日)に[[李氏朝鮮|朝鮮]]で出された、男性のまげを切らせる[[詔勅]]である。[[金弘集 (政治家)|金弘集]]らが進めていた近代化政策である[[甲午改革]]、[[乙未改革]]の一環として行われたが、「身体、髪の毛、肌は父母から譲り受けたもので、傷つけないのが孝の始まりだ」という[[儒教]]の考え<ref>「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは、孝の終りなり。それ孝は親に事(つか)ふるに始まり、君に事(つか)ふるに中し、身を立つるに終る。」(孝経)</ref>から反発が広まり、また断髪令は日本の真似だとして反日感情にも結びつき、[[義兵#初期義兵|乙未義兵]]が発生する原因にもなった。[[露館播遷]]後に、人心を収拾するため、断髪令は撤回された。
 
== 関連項目 ==