「愛子内親王」の版間の差分

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学習院幼稚園に入園してからは、運動会の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビに公開されている<ref name="shufumasaiko08" />。その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、敬宮愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。2013年(平成25年)においては、学習院初等科での成績は学年でのトップクラスと伝えられている<ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37432 偏差値72、天皇家で一番の頭脳](2013年10月28日)、週刊現代オンライン、2015年7月4日閲覧。</ref>。
 
1965年(昭和40年)の[[秋篠宮文仁親王]]誕生以降、長く皇室に男子が誕生しなかったため[[皇室典範]]見直しの機運が高まり、皇太子に女子が誕生したこともまたこれを後押しした。そのため、[[2005年]](平成17年)から[[2006年]](平成18年)にかけて、「[[皇室典範に関する有識者会議]]」において敬宮愛子内親王の即位を念頭においた[[女性天皇|女性]]・[[女系天皇]]の可能性が検討された([[皇位継承問題 (平成)|皇位継承問題]])<ref>2005年(平成17年)内閣官邸HP [http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.pdf 皇室典範に関する有識者会議報告書]</ref>。その後、2006年(平成18年)9月6日、[[文仁親王妃紀子|秋篠宮妃紀子]]が皇室で41年ぶりの男子・[[悠仁親王]]を出産したことで、典範見直しの動きは止まった<ref>2006年9月6日 日テレNEWS24 [http://www.news24.jp/articles/2006/09/06/0466344.html 典範改正“凍結”女系天皇の必要性も〜首相]</ref><ref>2012年1月7日 東京新聞WEB [http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012010702000032.html 「女性天皇」踏み込まず 政府の議論「宮家」限定]</ref>。
 
== 愛子内親王にちなむ花 ==