「サラバンド」の版間の差分

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サラバンドが初めて言及されたのは[[中央アメリカ|中米]]においてである。[[1539年]]にフェルナンド・グスマン・メヒアが[[パナマ]]で書いた詩の中で、「'''サラバンダ'''」(''zarabanda'')と呼ばれるダンスが言及されている。どうやらこのダンスは、スペイン[[植民地]]で人気があり、これが[[大西洋]]を渡って[[スペイン]]にもたらされた(逆輸入された)らしい。[[1583年]]になると、スペインでは猥褻性を理由に、[[1583年]]8月3日に[[フェリペ2世]]によって禁止された(刑罰<ref>大島富士子著『正しい楽譜の読み方』(2009年、現代ギター社)36ページには、「罰として死刑が宣告された」となっている。また、禁止したのは教会とある。</ref>は、鞭打ち200回と、男なら6年間の[[ガレー船]]漕刑、女なら王国からの追放)が、同時代(例えば[[ミゲル・デ・セルバンテス|セルバンテス]]や[[ロペ・デ・ヴェガ]]ら)の文学作品にはしばしば言及されている。17世紀初期には荒々しく急速だったが、後に遅く荘重なものになった。
 
[[アルマンド]]、[[クーラント]]、[[ジグ (音楽)|ジーグ]]と共に[[バロック音楽]]の[[組曲]]を構成する基本的な舞曲の一つである。