「シアトル・マリナーズの歴史」の版間の差分

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; {{by|2001年}}
:[[イチロー]]が加入し、8年ぶりに[[ブレット・ブーン]]が復帰。[[6月16日]]、ジョン・オルルドがサイクル安打を記録した。[[7月10日]]、セーフコ・フィールドでMLBオールスターゲームが開催され、マリナーズからはエドガー・マルティネス、ジョン・オルルド、ブレット・ブーン、イチロー、フレディ・ガルシア、[[ジェフ・ネルソン (野球)|ジェフ・ネルソン]]、佐々木主浩、マイク・キャメロンの8人が選出を果たした。[[9月29日]]、イチローが[[ジョー・ジャクソン (野球)|ジョー・ジャクソン]]の持っていたルーキー最多安打記録を90年ぶりに塗り替えた。この年、マリナーズはMLBタイ記録となるシーズン116勝を記録し、球団史上初となる[[コミッショナー特別表彰]]を受賞。116勝46敗という成績で4年ぶりとなる地区優勝を果たした。そして、ディビジョンシリーズにおいて[[クリーブランド・インディアンス]]を3勝2敗で破った。しかし、リーグチャンピオンシップシリーズでは[[ニューヨーク・ヤンキース]]に対して1勝4敗という結果に終わり、敗退。またしてもリーグ優勝を逃した。シーズン終了後、イチローが首位打者のタイトルを獲得。加えてゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞、シーズンMVP、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを同時受賞した。また、エドガー・マルティネスが4度目のシルバースラッガー賞と2年連続5回目となる最優秀指名打者賞を受賞し、ブレット・ブーンが最多打点のタイトルを獲得、シルバースラッガー賞を受賞した。さらに、フレディ・ガルシアが最優秀防御率のタイトルを獲得し、マイク・キャメロンがゴールドグラブ賞を受賞した。そして、ルー・ピネラが2度目の最優秀監督賞を受賞した。
 
; {{by|2002年}}
:[[7月9日]]、イチロー、フレディ・ガルシア、佐々木主浩の3人が2年連続2度目となるMLBオールスターゲーム出場を果たした。シーズン終了後、イチローが2年連続2度目、ブレットブーンとジョン・オルルドが2度目のゴールドグラブ賞をそれぞれ受賞した。そして、ルー・ピネラが監督を退任した。この年は93勝69敗という成績でシーズンを終えた。
:この年は93勝69敗でアメリカンリーグ西地区3位、ワイルドカード争いでは[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|アナハイム・エンゼルス]]から6ゲーム差で[[ボストン・レッドソックス]]と並んで2位タイの成績だった。
 
; {{by|2003年}}
:[[ボブ・メルビン]]が監督に就任。[[7月15日]]、エドガー・マルティネスが7度目、イチローが3年連続3度目、ブレットブーンが3度目、ジェイミー・モイヤーと[[長谷川滋利]]が初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。シーズン終了後、ジェイミー・モイヤーがロベルト・クレメンテ賞に加えて、いずれも球団史上初となる[[ハッチ賞]]と[[ルー・ゲーリッグ賞]]を同時受賞した。また、ブレットブーンが2年連続3度目のゴールドグラブ賞と2度目のシルバースラッガー賞を受賞した。さらに、イチローが3年連続3度目、ジョン・オルルドが2年連続3度目、マイク・キャメロンが2度目のゴールドグラブ賞をそれぞれ受賞した。そして、エドガー・マルティネスが5度目のシルバースラッガー賞を受賞し、[[ギル・メッシュ]]がカムバック賞を受賞した。この年も93勝69敗という成績でシーズンを終えた。
:この年は前年と同じ93勝69敗という勝敗でシーズンを終え地区2位に付けたが、レッドソックスに2ゲーム届かずワイルドカードは獲得出来なかった。
 
; {{by|2004年}}
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; {{by|2007年}}
:[[7月1日]]、マイク・ハーグローヴが契約途中で監督を辞任。翌日からベンチコーチの[[ジョン・マクラーレン]]が監督として指揮を執った。[[7月10日]]、イチローが7年連続7度目、[[J・J・プッツ]]が初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。また、この試合でイチローがオールスターMVPを受賞した。シーズン終了後、イチローが7年連続7度目となるゴールドグラブ賞と2度目のシルバースラッガー賞を受賞した。また、エイドリアン・ベルトレもゴールドグラブ賞を受賞した。この年は88勝74敗という成績でシーズンを終え、4年ぶりに最下位を脱して地区2位となった。
:この年は88勝74敗という成績でシーズンを終え、4年ぶりに最下位を脱して地区2位となり、ワイルドカード争いでも[[デトロイト・タイガース]]と並ぶ2位タイだったが、当時はワイルドカードが1チームにしか与えられなかったためポストシーズン進出は出来なかった。
 
; {{by|2008年}}
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:シーズン終了後に、トレードでパクストンを[[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]へ、カノと[[エドウィン・ディアス (投手)|エドウィン・ディアス]]を[[ニューヨーク・メッツ|メッツ]]へ、[[ジーン・セグラ]]を[[フィラデルフィア・フィリーズ|フィリーズ]]ヘ、[[マイク・ズニーノ]]を[[タンパベイ・レイズ|レイズ]]へ、それぞれ放出した。FAとなった[[ネルソン・クルーズ (外野手)|ネルソン・クルーズ]]もチームを去った。
; {{by|2019年}}
:本拠地の球場名がセーフコ・フィールドからネーミングライツの変更により'''[[T-モバイル・パーク]]'''となった。
:ディポートGM、サーバイス監督体制の4年目。この年も選手を大きく入れ替え、新たに[[アンソニー・スウォーザック]]、[[コーリー・ギアリン]]、[[ドミンゴ・サンタナ]]、[[エドウィン・エンカーナシオン]]、[[ジェイ・ブルース]]、[[マレックス・スミス]]、[[オマー・ナルバエス (野球)|オマー・ナルバエス]]、[[ティム・ベッカム]]、[[ザック・ロスカップ]]などが加入。[[日本野球機構|NPB]][[埼玉西武ライオンズ]]より[[ポスティングシステム]]で[[菊池雄星]]を獲得した。
:7年ぶりに日本での開幕戦のため、アスレチックスとともに来日。3月20日・21日に[[東京ドーム]]で開幕戦を2試合行ない連勝した。また、3月21日の試合終了後、イチローが現役引退を発表した。開幕からの15試合で13勝2敗と絶好のスタートだったが、以降は黒星が先行している
 
== 球団の危機 ==