「二宮清純」の版間の差分

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二宮の実家は10代以上続く農家で、屋号は「川宇」。河野屋宇兵衛という江戸時代の庄屋に端を発する。二宮は幼少の頃は巨人ファンだったが、瀬戸内海を挟んだ[[広島県]]から聴こえる[[中国放送]](RCCラジオ)のラジオ野球中継を聴きくうちに、[[広島東洋カープ]]ファンとなった。[[愛媛県立八幡浜高等学校]]卒業後、上京し[[日本大学商学部・大学院商学研究科|日本大学商学部]]在学中からスポーツ誌などに寄稿していた。スポーツ紙のプロレス担当記者や流通業界紙の記者を経て独立。その後、[[明治大学|明治大学大学院]]に進み、博士前期課程修了・学術修士。フリーのスポーツジャーナリストとしてテレビ出演や新聞、雑誌への寄稿、講演活動を精力的にこなしている一方で、地域に密着したスポーツクラブ作りにも参画している。その一環として、2017年に「中国地域プロスポーツ団体連携プラットフォーム構築事業」プロジェクトマネージャーに就任。また[[大正大学]]地域構想研究所客員教授、[[広島大学]]特別招聘教授、伊予観光大使なども務める。
 
[[野球]]、[[サッカー]]、[[プロボクシング]]といったメジャースポーツや[[相撲]]、[[プロレス]]、[[K-1]]、[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]等の格闘技を観戦・取材している。[[日本経済新聞]]、[[スポーツニッポン新聞]]、[[サンデー毎日]]、[[週刊現代]]、[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]、[[週刊大衆]]、[[ビッグコミックオリジナル]]、[[漫画ゴラク]]、[[小説宝石]]、[[フィナンシャルジャパン]]、[[経済界 (出版社)|経済界]]、[[Sports Graphic Number|Number]]などに連載コラムを持つ。[[山際淳司]]の場合は野球、[[中西哲生]]の場合はサッカーなどと特定のジャンルで知名度が高い[[スポーツライター]]、[[ジャーナリスト]]も多くいる中、二宮も特定のジャンルに偏らず取り上げる範囲は広い。またテレビやラジオ番組の構成も手掛け、1996年に「野茂&ラモス 世界に翔くドリームトーク」(ニッポン放送)の構成でギャラクシーラジオ優秀賞受賞。同年に[[三池崇史]]が監督を務め、ケイエスエスが公開したオリジナルビデオシリーズ[[喧嘩の花道|「大阪最強伝説 喧嘩の花道」の原作者]]でもある。2000年から2001年にかけて、[[サンデースポーツ|NHK「サンデースポーツ」]]のレギュラーコメンテーター、2007年から2015年にかけて[[小学館ノンフィクション大賞|小学館ノンフィクション大賞選考委員]]も務めた。
 
二宮はスポーツライターの分野にとどまらず、政治・経済に関する発言も多く衆議院議員の[[河野太郎]]との共著で「変われない組織は滅びる」([[祥伝社新書]])、またビジネス書として[[羽生善治]]との共著「歩を『と金』に変える人材活用術」([[廣済堂新書]])というタイトルの本も出版している。最近は雑誌の『[[潮出版社|潮]]』、『[[第三文明社|第三文明]]』に寄稿することが多いため「[[創価学会]]寄り」と見られることがあるが、それについて二宮は、「『[[しんぶん赤旗|赤旗]]』にコメントを出せば[[日本共産党|共産党]]寄り、『[[正論 (雑誌)|正論]]』や『[[諸君!]]』に執筆した時は[[右翼|右寄り]]と言われた。媒体によって主張を変えることはない」と語っていた。