「慶長伏見地震」の版間の差分

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== 概要 ==
現在の京都・[[伏見]]付近の[[有馬-高槻断層帯]]および[[六甲・淡路島断層帯]]を[[震源断層]]として発生した[[マグニチュード]](M) 7.25-7.75程度と推定される[[地震#内陸地殻内地震|内陸地殻内地震]](直下型地震)である<ref>松田時彦、[https://doi.org/10.11462/afr1985.1996.14_1 「「要注意断層」の再検討」] 『活断層研究』 996巻 14号 1996年 p.1-8 , {{doi|10.11462/afr1985.1996.14_1}}</ref>。地震による死者数の合計は京都や[[堺]]で1,000人以上を数えたと伝えられており、完成間近の[[伏見城]]天守もこの地震により倒壊し、城内だけで600人が圧死したと言われている。
 
京都では[[東寺]]・[[天龍寺]]・[[二尊院]]・[[大覚寺]]等が倒壊し、被害は[[京阪神]]・[[淡路島]]の広い地域に及び、[[大坂]]・[[堺]]・[[兵庫]](現在の神戸)では家々が倒壊した。また、現在の[[香川県]][[高松市]]でも強震を伴ったとされている<ref>讃岐一宮盛衰記</ref>。
 
[[木津川河床遺跡]]・[[内里八丁遺跡]]([[八幡市]])等では顕著な[[液状化]]跡が見つかり、[[玉津田中遺跡]]([[神戸市]])や[[田能高田遺跡]]([[尼崎市]])等で、液状化現象が発生した痕跡がある<ref>[http://jishin-info.jp/column-08/column-08f.shtml 地震の日本史 第6回/秀吉と地震 寒川旭(さんがわあきら)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120718231247/http://jishin-info.jp/column-08/column-08f.shtml |date=2012年7月18日 }}</ref>。また、[[今城塚古墳]]([[高槻市]])と[[西求女塚古墳]](神戸市[[灘区]])における墳丘の地すべりは、この地震による地震動によるものであると推測されている<ref>釜井俊孝、寒川旭、守隨治雄 - [https://doi.org/10.5110/jjseg.48.285 「1596年慶長伏見地震による古墳の地すべり」]『 応用地質』 Vol.48 (2007-2008) No.6 P285-298, {{doi|10.5110/jjseg.48.285}}</ref>。また、現在の徳島県鳴門市の撫養地区で生じた隆起は、塩田開発の契機となったと考えられている<ref>小野映介、矢田俊文、海津颯、河角龍典、「[https://doi.org/10.14866/ajg.2015s.0_100029 徳島県撫養地区における塩田開発と1596年慶長伏見地震の関連性]」 日本地理学会 2015年度日本地理学会春季学術大会 セッションID:328 発表要旨, {{doi|10.14866/ajg.2015s.0_100029}}</ref>。
 
{{要出典範囲|この地震による著名な死者としては[[加賀爪政尚]]、[[横浜一庵]]がいる|date=2019年2月}}。