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[[中国の歴史|中国史]]における'''[[貴族]]'''は、[[魏晋南北朝時代]]から[[唐]]末期([[220年]] - [[907年]])にまで存在した血統を基幹として政治的権力を占有した存在を指す。[[後漢]]の[[豪族]]を前身とし、[[魏 (三国)|魏]]において施行された'''[[九品官人法]]'''により貴族層が形成された。[[南北朝時代 (中国)#%E5%8C%97%E6%9C%9D|北朝]]ではこれに[[鮮卑]]や[[匈奴]]といった北族[[遊牧民]]系統の族長層が加わり、その系譜を汲む[[隋]]・唐でもこの両方の系統の貴族が社会の支配層の主要部を形成した。中国史学では、貴族が社会の主導権を握っていた体制を'''貴族制'''と呼ぶ
[[ファイル:ImperioOtomano1683.png|サムネイル|200x200ピクセル|オスマン帝国の最大領土(1683年)]]
 
'''[[オスマン帝国]]'''('''دولتِ عليۀ عثمانيه'''‎,)は、[[テュルク|テュルク系]](後の[[トルコ人]])の[[オスマン家]]出身の[[オスマン帝国の君主|君主(皇帝)]]を戴く[[多民族国家|多民族]][[帝国]]。英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記される。15世紀には[[東ローマ帝国]]を滅ぼしてその首都であった[[コンスタンティノポリス]]を征服、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがて[[イスタンブール]]と通称されるようになる)。17世紀の最大版図は、東西は[[アゼルバイジャン]]から[[モロッコ]]に至り、南北は[[イエメン]]から[[ウクライナ]]、[[ハンガリー]]、[[チェコスロバキア]]に至る広大な領域に及んだ。<!-- 秀逸な記事 -->
貴族は政治面では人事権を握って上級官職を独占することで強い権力を維持し、その地位を子弟に受け継がせた。このことにより官職の高下が血統により決定されるようになり、'''門地二品'''・'''士族'''と呼ばれる層を形成した。一方、文化面では[[王羲之]]・[[謝霊運]]などを輩出し、[[六朝]]から唐中期までの文化の担い手となった。隋代に導入された[[科挙]]により新しい科挙官僚が政界に進出してくるようになると貴族はこれと激しい権力争いを繰り広げるが、最終的に唐滅亡時の混乱の中で貴族勢力は完全に瓦解した。<!-- 秀逸な記事 -->
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