「松林図屏風」の版間の差分

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試しに継ぎ目を元の状態に戻すと、左隻の右1扇目上部の山から緩やかな[[三角形]]をえがいた安定のよい構図にまとまる。更に、左隻3,4扇目やや下の斜めに傷のように走る線がほぼ繋がるようになり、ちょうど対辺延長上の両端に[[落款]]が押されている。しかし今度は、左隻下の地面を表す薄墨が大きくずれ、現状の作品がもつリズム感が失われてしまう。また、この落款は基準印と異なる事から、後に押された可能性が高い。これを説明するため、元々この間に現在は失われた一、二扇があったとする案や、元は屏風の左右が逆で、左隻左端中程にわずかに覗く枝の先端部が右隻右端の松の延長部分とする仮説などが提出されている。
 
1997年には、松林図屏風と酷似した作品が発見されており(「月夜松林図屏風」個人蔵、[[京都国立博物館]][[寄託 (私法)|寄託]])、等伯にごく近い絵師が本作を模倣したものと推定される。この屏風の出現により、制作後余り時を経ない時期(桃山時代末、[[慶長]]年間後半か?)に、長谷川派内で表装されたことが明らかとなった。また、派内で押印した場合、当然正印が用いられるはずであるから、以前から指摘されていた偽印説は裏付けを得たことになる。
 
== 脚注 ==