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同番組の主に女性スタッフから「野猿の活動に感けてスタッフの本業を怠けている」というクレームが入る。その抗議の声を上げた女性スタッフをとんねるずが'''女猿'''と命名した。「ほんとのうたばん」コーナーで[[モーニング娘。]]のパロディ(スタッフの漢字書き間違いから「モーニング嫌。」と呼ばれていた)で[[飯田圭織]]に扮した石橋と共に『[[抱いてHOLD ON ME!]]』をやる気無く踊った。また[[宇多田ヒカル]]の『Automatic』を元・野猿メンバーである太田にパロディさせた。
 
6thシングル『夜空を待ちながら』発売の際、とんねるずのマネージャー・関口の発案によりオリコン週間チャート1位にならなかった場合1人脱退、5位以下なら2人脱退、10位以下なら解散と発表される。そして結果は6位だったため2人のメンバー脱退が決定した。脱退となるのは赤玉を引いたメンバーという抽選の結果、ボーカルチームの平山と神波が脱退となった。石橋曰く視聴者からは「[[SMAP]]で言えば[[中居正広|中居君]]と[[木村拓哉|木村君]]が抜けるようなものです」といった抗議が殺到したと言う。音声の荒井千佳ととんねるずマネージャーの関口正晴が代わりに加入しようするこしていになったが(髪型も赤いドレッドヘアーと平山・神波を意識していた)、次のシングルで参加することになっていた荒井が「関口を外して平山・神波が復帰しなければ歌わない」と条件を出して復帰。関口もリハーサルについていけずメンバー入りを諦め一連の騒動は終結した。この件以降平山・神波は赤玉ブラザーズと呼ばれる事がある。
 
1999年の紅白初出場が決定した。当日は大原が急性胃腸炎で40度の熱を出してダウンしたがなんとか体調を取り戻し見事にステージで踊りきった。同番組では『Be cool!』を1991年のとんねるずの紅白出場を模した全身白塗り(高久のみ赤塗り)、アフロのカツラとパンツ一丁で曲を歌唱。さらにはラストに髪文字を披露した(ボーカルチームはカツラ、ダンスチームは本当に髪を切っていた。なお紅白終了後はダンスチームは全員丸坊主にしたが、半田のみ次回紅白出場の願掛けとして「ト」の形の髪を1年間伸ばす事になった)。
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同年発売の8thシングル『Chicken guys』から10thシングル『star』まで[[明治生命]]「ライフアカウントL.A.」CM曲に起用され野猿メンバーととんねるずの2人も出演した。
 
同年秋に野猿総選挙が行われ最下位の網野が一時脱退。代わりにプロデューサーの松村匠と放送作家の浅野吉朗が人気投票で対決し、結果浅野が9thシングル『太陽の化石』にバックダンサーで加入したが、この1曲のみでの脱退となっし網野が再び復帰した。
 
同年冬に妹分の[[女猿]]という女性アイドルグループもオーディションの末に結成された。(番組女性スタッフを指していた女猿とは別である)またメンバーの[[島田麻依子]]はその後ソロとしてシングル『stardust』をリリースした。