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'''カリビアンシリーズ'''({{lang-en-short|Caribbean Series}})または'''セリエ・デル・カリベ'''({{lang-es-short|Serie del Caribe}})は、[[ラテンアメリカ]]の国際[[野球]]大会である。各国・地域の国内[[ウィンターリーグ]]を勝ち上がったチームが毎年2月に集い、ラテンアメリカ王座をかけて争う。'''カリビアン・ワールドシリーズ'''({{lang-en-short|Caribbean World Series}})とも呼ばれる
 
[[メジャーリーグベースボール]]の優勝決定戦[[ワールドシリーズ]]になぞらえて、'''カリビアン・ワールドシリーズ'''({{lang-en-short|Caribbean World Series}}<ref>Fox News, "[https://www.foxnews.com/sports/with-major-league-baseballs-grudging-approval-cuban-team-returns-to-caribbean-series With Major League Baseball's Grudging Approval, Cuban Team Returns To Caribbean Series]," ''[[FOXニュース|Fox News]]'', December 24, 2016. 2019年6月1日閲覧。</ref>)あるいは'''セリエ・ムンディアル・デル・カリベ'''({{lang-es-short|Serie Mundial del Caribe}}<ref>GV con información de Noticia al Día, "[https://www.globovision.com/article/cbpc-presento-trofeo-de-la-serie-del-caribe CBPC presentó trofeo de la Serie del Caribe]," ''[[:es:Globovisión|globovision.com]]'', 1 de febrero de 2017. 2019年6月1日閲覧。</ref>)とも呼ばれる。
 
== 歴史 ==
メキシコからは、"[[リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ]]"(LMP)優勝チームへカリビアンシリーズ出場権が与えられる。LMPは、[[メキシカンリーグ|夏季リーグ(メキシカンリーグ)]]とは別組織である<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、72-73頁。</ref>。LMPは1945年に "リーガ・デ・ラ・コスタ・デル・パシフィコ" として発足した。創設時の球団数は4で、球団本拠地は[[ソノラ州]]の[[エルモシージョ]]と[[グアイマス]]、[[シナロア州]]の[[クリアカン]]と[[マサトラン]]にあった<ref>Aarón Arguijo Gamiochipi, "[https://www.elsiglodetorreon.com.mx/noticia/1301883.laguneros-han-dejado-su-brillo.html Laguneros han dejado su brillo]," ''[[:es:El Siglo de Torreón|El Siglo de Torreón]]'', 13 de enero de 2017. 2019年5月9日閲覧。</ref>。メキシコへの野球伝来ルートのひとつがこのあたりにあるとされ、グアイマスがメキシコ野球発祥の地を自認するなど、このあたりは野球人気が高い地方である<ref name="samuraij" />。その後、リーグ名は "パシフィコ"({{lang-es-short|Pacífico}}=[[太平洋]])という単語が外されて "リーガ・インベルナル・デ・ソノラ" や "リーガ・インベルナル・ソノラ=シナロア" など、[[メキシコの州|州]]名を入れた名称に変わった。1970-71シーズンより、CBPCの要請に応じてリーグ名をLMPとしたことで、カリビアンシリーズへの参入を認められた<ref>Sergio Luis Rosas, "[https://www.elsiglodetorreon.com.mx/noticia/685936.el-reino-del-beisbol-mexicano.html El reino del béisbol mexicano]," ''El Siglo de Torreón'', 11 de diciembre de 2011. 2019年5月9日閲覧。</ref>。LMPの球団数は年々増加し、1970-71シーズンには発足時の倍の8にまで増えていたが、球団本拠地はいずれもソノラ州かシナロア州だった。
 
[[File:Manny Mota.jpg|230px|thumb|left|[[マニー・モタ]]は[[ティグレス・デル・リセイ]]在籍中にLIDOM優勝を5度、カリビアンシリーズ優勝を1度経験しており、このときを「我が野球人生の絶頂期」と振り返る<ref>Nelson Rodríguez, "[https://www.diariolibre.com/deportes/manny-mota-un-icono-de-los-dodgers-y-los-tigres-de-licey-EM4860868 Manny Mota, un ícono de los Dodgers y los Tigres de Licey]," ''Diario Libre'', 26 de septiembre de 2016. 2019年6月1日閲覧。</ref>]]
プエルトリコを除く3か国の初優勝は、ベネズエラ勢が1970年大会、ドミニカ共和国勢が1971年大会、そしてメキシコ勢が[[1976年のカリビアンシリーズ|1976年大会]]である。再開初年度の1970年大会はベネズエラの首都[[カラカス]]で開催され、開催国からは[[ナベガンテス・デル・マガジャネス]]が出場した。ナベガンテスは前季までカラカスを本拠地都市としたのち、1969-70シーズンから[[カラボボ州]][[バレンシア (ベネズエラ)|バレンシア]]へ移転していたため、今大会はカラカスへの凱旋でもあった<ref>[[AP通信|AP]], "[http://espndeportes.espn.com/noticias/nota?s=bei&id=964191&type=story Rivalidad enciende pasión]," ''ESPN Deportes'', 28 de enero de 2010. 2019年5月14日閲覧。</ref>。5勝1敗で迎えた第7戦は、逆転優勝の可能性を残すプエルトリコ代表[[レオネス・デ・ポンセ]]との直接対決で、相手に3度もリードを許しながらその都度追いついて延長11回に[[ガス・ギル]]の[[サヨナラゲーム|サヨナラ打]]で優勝を決めた<ref name="solmarga" />。一方、この大会で初出場のドミニカ共和国代表[[ティグレス・デル・リセイ]]は、[[選手兼任監督]][[マニー・モタ]]の下で1勝7敗の最下位に沈んだ。しかし翌年、ティグレスは再びモタを選手兼任監督に据えてカリビアンシリーズに出場し、今度は6戦全勝で初優勝を果たした。1971年大会でモタは優勝監督となっただけでなく、[[中堅手]]としても19打数11安打の[[打率]].579と活躍し、[[:en:Caribbean Series Most Valuable Player|大会MVP]]とベストナインを受賞した<ref>Gustavo Rodríguez, "[http://hoy.com.do/manny-mota-fue-el-heroe-del-primer-triunfo-de-rd-en-1971/ MANNY MOTA Fue el héroe del primer triunfo de RD en 1971]," ''[[:es:Hoy (República Dominicana)|Hoy Digital]]'', 31 de enero de 2017. 2019年5月14日閲覧。</ref>。メキシコ勢の初優勝は他国・地域から遅れた。[[ナランヘーロス・デ・エルモシージョ]]が優勝を決めたとき、開催地ドミニカ共和国[[サントドミンゴ]]の[[エスタディオ・シバオ]]は悪天候のため観衆はまばらだったが、監督の[[ベンハミン・レイエス]]は「『メキシコのレベルは他の大会出場国より劣っているのでは』などという疑いを、少なくとも我々は払拭しつつある。今大会では間違いなく我々の方が優れていたからだ」と胸を張った<ref>Redacción EL IMPARCIAL, "[https://www.elimparcial.com/sonora/deportelocal/1976-Los-Naranjeros-Conquistaron-el-Caribe-20170321-0156.html 1976: Los Naranjeros Conquistaron el Caribe]," ''[[:es:El Imparcial (periódico sonorense)|ELIMPARCIAL.COM]]'', 21 de Marzo de 2017. 2019年5月14日閲覧。</ref>。
 
ティグレス・デル・リセイのシリーズ初優勝時に球団代表を務めていたのが、[[モンチン・ピチャルド]]である。彼は元々は[[卓球]]選手で、1947年国内選手権制覇などの実績が評価され、1988年に[[:es:Pabellón de la Fama del Deporte Dominicano|ドミニカ共和国スポーツ殿堂]]入りしている<ref name="hoymonchin">Gustavo Rodriguez, "[http://hoy.com.do/adios-a-un-grandemonchin-pichardo-fue-elogiado-en-rd-y-estados-unidos/ ¡Adiós a un grande! Monchín Pichardo fue elogiado en RD y Estados Unidos]," ''Hoy Digital'', 19 de abril de 2006. 2019年6月1日閲覧。</ref>。ティグレスへは1954年に入団し、1963-64シーズンから球団代表として編成の責任を担った<ref name="monchindr">Bienvenido Rojas, "[https://www.diariolibre.com/deportes/con-m-pichardo-muri-un-roble-del-bisbol-dominicano-DUDL93959 Con M. Pichardo, murió un roble del béisbol dominicano]," ''Diario Libre'', 19 de abril de 2006. 2019年6月1日閲覧。</ref>。ピチャルドの下でティグレスはLIDOMを11度制し<ref name="hoymonchin" />、カリビアンシリーズでは[[1973年のカリビアンシリーズ|1973年大会]]で2度目の優勝、さらに[[1977年のカリビアンシリーズ|1977年]]・[[1980年のカリビアンシリーズ|1980年]]・[[1985年のカリビアンシリーズ|1985年]]・[[1991年のカリビアンシリーズ|1991年]]と優勝を積み重ねていった。こうした強さは、ピチャルドとMLB球団の良好な関係によって支えられていた。特に[[ロサンゼルス・ドジャース]]球団オーナーの[[ピーター・オマリー]]、[[ゼネラルマネージャー|GM]]の[[アル・キャンパニス]]や[[トミー・ラソーダ]]らとは特に親しくなり、この関係を基にドジャースからティグレスへ優れた人材が派遣された<ref name="monchindr" />。ラソーダは1972-73シーズンから4季にわたってティグレスの監督を務め、1973年と[[1974年のカリビアンシリーズ|1974年]]のカリビアンシリーズに出場している<ref>Cuqui Córdova, "[https://listindiario.com/el-deporte/2008/07/01/64472/la-cronica-de-los-martes La crónica de los martes]," ''Listín Diario'', 1 de julio de 2008. 2019年6月1日閲覧。</ref>。1974年大会時、ティグレスにはモタや[[ビル・バックナー]]、[[スティーブ・ガービー]]や[[チャーリー・ハフ]]など、ドジャースの選手が多く在籍していた<ref>Rory Costello, "[https://sabr.org/bioproj/person/7278ea2a Bob Didier]," ''Society for American Baseball Research'', June 20, 2018. 2019年6月1日閲覧。</ref>。ピチャルドはドジャース以外にもドミニカ共和国を訪れたMLB球団幹部を歓待し、[[セントルイス・カージナルス]]や[[オークランド・アスレチックス]]とも関係を築いた<ref name="hoymonchin" />。
 
1999年頃から、キューバ復帰の可能性が探られるようになる<ref name="cubarejoin">Jesse Sanchez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130611&content_id=50308048&c_id=mlb Cuba says it will rejoin Caribbean Series / Nation hasn't played in championship since Castro ended participation in 1960]," ''MLB.com'', June 11, 2013. 2014年2月9日閲覧。</ref>。特に2006年3月、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック]]において[[野球キューバ代表|キューバ代表]]が準優勝の好成績を収めると、監督の[[イヒニオ・ベレス]]が「シリーズへの招待も待っているよ」と発言するなど、再参加の可能性が大きくなっていった<ref>Guillermo Celis, "[http://sports.espn.go.com/mlb/worldclassic2006/columns/story?id=2377453 Cuban skipper is loyal to flag, people, players]," ''[[ESPN|ESPN.com]]'', March 20, 2006. 2013年2月9日閲覧。</ref>。2012年には同国野球連盟の会長に就いていたベレスが、厳しい国家財政のため大会開催費用の負担が必要な正式参加国にはなれないが、そうではない招待国としてなら大会に参加してもよいと述べた<ref>"[https://www.elnuevodia.com/deportes/beisbol/nota/cubaregresariaalaseriedelcaribeenel2013-1294613/ Cuba regresaría a la Serie del Caribe en el 2013]," ''[[:es:El Nuevo Día (Puerto Rico)|El Nuevo Día]]'', 6 de julio de 2012. 2019年2月28日閲覧。</ref>。折衝の末に2013年6月、翌2014年の大会からキューバが復帰することが決まった<ref name="cubarejoin" />。
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