「東京慈恵会医科大学」の版間の差分

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※「大学全体」は、あくまでその大学の「全体像」を大まかにまとめる部分である。長さの目安は400字程度。また、本プロジェクトで討議された文章表現の基準に準拠する必要がある。特にその大学にとって特段の大きな意味を有さないこと、時限的な事象を大きくとりあげることにならないよう留意する必要が認められる。
記載内容は、大学の全体について平均的に記述し、特定の学部・研究科などを大きく取り上げる形にならないように留意する。また、できるだけ曖昧な表現の使用はさけ、より具体的でかつ確定的なことを中心に記載する。なお、その際、文章が増えることがあるが、節全体の文章量も十分に考慮する。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。-->
1881年([[明治]]14年)に創立された成医会講習所が起源。1891年(明治24年)、[[昭憲皇太后]]の意向を受け、東京慈恵医院医学校と改称された。その後、1903年(明治36年)、[[専門学校令]]を受けて日本初の私立医学専門学校として東京慈恵医院医学専門学校となる。さらに、1921年([[大正]]10年)に大学に昇格して東京慈恵会医科大学となった。これは[[大学令]]に基づく日本の私立の旧制大学の中で最も古い単科の医科大学である。1991年([[平成]]3年)、医学部看護学科の設置が日本で初めて認可され、医学部の下に医学科と看護学科を設置し、医師・看護師の育成を行っている。また、1956年(昭和31年)に大学院医学研究科博士課程を設置、2009年(平成21年)には大学院医学研究科看護学専攻修士課程を開校した。開学以来130年間の卒業生は12,000人を超え、全国各地で医療を社会に提供している。[[太平洋戦争]]前から旧制医科大学であり、私立医大[[御三家]]と一般的に呼ばれる(他に[[慶應義塾大学大学院医学研究科・医学部|慶應義塾大学医学部]]、[[日本医科大学]])
 
== 沿革 ==