「伊勢神道」の版間の差分

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== 概要 ==
[[鎌倉時代]]末期に、それまでの[[両部神道]]や[[山王神道]]などの[[本地垂迹|本地垂迹説]]とは逆に、[[本地垂迹#反本地垂迹説|反本地垂迹説]](神本仏迹説)が勃興するようになり、その影響で、伊勢神宮の外宮の神官である[[度会家行]]によって、伊勢神道が唱えられた<ref name="yougo1">{{Cite book|和書|author=日本史用語研究会 |title=必携日本史用語|year=2009 |edition=四訂版 |publisher=実教出版}}</ref>。伊勢神道は、『[[神道五部書]]』(偽書とされる<ref name="yougo1" />)を根本経典とする。また、[[儒教]]・[[道教]]思想の要素も含まれた最初の神道理論とされる<ref name="yougo2">{{Cite book|和書|author=全国歴史教育研究協議会| title=日本史B用語集―A併記 |year=2009 |edition=改訂版 |publisher=山川出版社}}</ref>。伊勢神道は、[[元寇]]により日本を「[[神国]]であると再認識し、日本における唯一絶対の日本の宗教神道であるとする勢力のよりどころとから支持されて、発展した。
日本書紀によると、[[倭姫命]]は11代垂仁天皇の皇女で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御杖代(みつえしろ)として各地を巡行し、伊勢の地で神宮を創祀した。「神道五部書」と呼ばれる伊勢神道の根本史料の一つ『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』(鎌倉時代ごろ頃成立)に、度会(わたらい)郡(度会町、大紀町、玉城町、南伊勢町)を中心とする倭姫命の足跡が数多く記されている。<ref>[http://www.sankei.com/region/news/170806/rgn1708060032-n1.html 「伊勢神宮の伝承文化見直す」 宮川「倭姫伝説」巡るガイドツアー]</ref>