「山田顕義」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
253行目:
*「生きた。闘った。使命を全うした。人生に悔いはない」<ref group="注">顕義がよく口にしていた言葉。</ref>
 
== 山田顕義に対する人物 ==
*[[高杉晋作]]
**高杉晋作が亡くなる時に、「奇兵隊を引き継ぐ人物は?」と問われて、晋作が名を挙げたのは、大村益次郎であった。しかし、大村は元々村医者だったため「その次は?」と問うと「山田市之允」と答えたという。この時、山田顕義はまだ23歳の青年であった<ref name=j />
*[[西郷隆盛]]
**小柄で童顔だった山田に対して西郷は「よか稚児」と残している。
**「神算鬼謀の将」<ref name=j />
**「あの小わっぱ(小童)、用兵の天才でごわす」
**「用兵の妙、神の如し」<ref name=j />
*[[桐野利秋]] 「官軍の将校輩畏るるに足るものは一人も居ないが、独り空齋(山田)だけは神出鬼没測り知ることが出来ない。彼の技量は我等戊辰の際に於いて之れを熟く知って居る。今幸か不幸か旗鼓相見ゆるを得る次第だ。我輩と一快戦を試みる者は正に彼空齋あるのみ」<ref>『命を棄てて』P175</ref>
 
== 幼少期のエピソード ==