「ウィリアム・ヘイスティングス (初代ヘイスティングス男爵)」の版間の差分

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[[1470年]]に[[ウォリック伯]][[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|リチャード・ネヴィル]]がランカスター派に寝返って反乱を起こし、エドワード4世が窮地に立たされた時も彼を見捨てず、エドワード4世の弟グロスター公(後のリチャード3世)、義弟のリヴァーズ伯[[アンソニー・ウッドヴィル (第2代リヴァーズ伯爵)|アンソニー・ウッドヴィル]]らと一緒にブルゴーニュへ亡命、翌[[1471年]]のエドワード4世のイングランド上陸にも同行し、[[バーネットの戦い]]と[[テュークスベリーの戦い]]でグロスター公と共に部隊指揮を任され奮戦した。戦後はグロスター公指揮下の軍に加わり[[ケント (イングランド)|ケント]]で残敵掃討、[[ハワード男爵]][[ジョン・ハワード (初代ノーフォーク公)|ジョン・ハワード]]と共に[[カレー (フランス)|カレー]]鎮撫に努め、ケントのランカスター派は降伏しカレーをヨーク派支持に変えることに成功、外戚ウッドヴィル家と並ぶ側近にのし上がっていった<ref name="森346"></ref><ref>尾野、P155、P157、P159、P161、P163、ロイル、P313 - P314、P317、P324、P352。</ref>。
 
だが、ヘイスティングス男爵は有能な行政手腕を買われたが、エドワード4世の放蕩仲間でもあったため身持ちが悪く、王が下げ渡した女を巡りリヴァーズ伯の弟エドワードと甥(リヴァーズ伯の姉で王妃[[エリザベス・ウッドヴィル]]と先夫の長男)のドーセット侯{{仮リンク|トマス・グレイ (初代ドーセット侯爵)|en|Thomas Grey, 1st Marquess of Dorset|label=トマス・グレイ}}と対立、互いに相手を中傷し合った。リヴァーズ伯も希望したカレー副総督を1471年にヘイスティングス男爵が任命されたことを恨み、ヘイスティングス男爵は[[バッキンガム公]][[ヘンリー・スタッフォード (第2代バッキンガム公爵)|ヘンリー・スタッフォード]]スタンリー男爵[[トマス・スタンリー (初代ダービー伯爵)|トマス・スタンリー]]など旧来の貴族を味方に付けてウッドヴィル家を敵に回し、両者の派閥抗争は将来に暗雲をもたらした<ref>石原、P180 - P187、ロイル、P352 - P353。</ref>。
 
1483年[[4月9日]]にエドワード4世が亡くなると、ヘイスティングス男爵とウッドヴィル家の権力闘争が始まり、先手を打ったウッドヴィル家は国庫と海軍を抑え諮問会議の主導権も握った。対するヘイスティングス男爵はカレーに引き上げると言いだしウッドヴィル家に抵抗、グロスター公とバッキンガム公に助けを求め巻き返しを図った。この作戦は成功し[[ラドロー城]]から[[ロンドン]]へエドワード5世を連れて行軍していたリヴァーズ伯とドーセット侯の弟リチャード・グレイは[[4月30日|30日]]にグロスター公の手勢に拘束、ロンドンでエリザベス・ドーセット侯らの抵抗はあったもののすぐに鎮静化、恩賞としてグロスター公から[[5月20日]]に造幣局長官を追加された<ref name="森346"></ref><ref>尾野、P181 - P183、石原、P191 - P200、P209 - P212、P214 - P215、P221、ロイル、P357 - P361。</ref>。