「関ヶ原の戦い」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
21行目:
主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の[[史跡]]となっている。
 
== 概[[]]==
[[豊臣秀吉]]の死後発生した[[豊臣政権]]内部の政争に端を発したものであり、[[毛利輝元]]を総大将とし[[宇喜多秀家]]・[[石田三成]]らを中心に結成された西軍と、[[徳川家康]]を中心に構成された東軍の両陣営が関ヶ原での戦いを含め、各地で戦闘を繰り広げた<ref group="注釈">この二派を、東軍・西軍と呼んだのは後世のことである。</ref>。この戦役の結果、豊臣政権は統一政権の地位を失った一方、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れ、幕藩体制確立への道筋が開かれることになる。