「徳田球一」の版間の差分

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「獄中18年」という経歴から共産党支持者から[[英雄]]視され、親しみやすい人柄で「徳球(とっきゅう)」のニックネームがあった一方、党内で「オヤジ」「徳田[[天皇]]」と呼ばれるような家父長的(親分子分的)指導体制であったという批判もある。特に、文化運動では、娘婿の[[西沢隆二]]の方針を支持し、〈ダンス至上主義〉といわれるほど[[社交ダンス]]を運動のなかにもちこんだ(その実態は[[徳永直]]の小説、『静かなる山々』にも描かれている)。また、[[宮本百合子]]は、1949年に、小説家を軽んじる徳田の方針に対する意見書を提出している。ただし、北京への渡航後は国際派への妥協を主張した西沢と対立し、[[伊藤律]]の回想によると「おれは長年獄中にいて世間にうといから、西沢にやわらかくほぐすよう助言させてきた。しかし、それは[[ブルジョワジー|ブルジョア思想]]でおれを毒する危険な協力だった。彼のため、もう一歩で一生を誤るところだった。彼と野坂(参三)は同じ思想だ。彼を日本へ帰してしまおう」と絶縁を言明した<ref>伊藤律『伊藤律回想録 - 北京幽閉二七年』文藝春秋社、1993年、p20、23</ref>。しかし西沢の送還は実現しなかった。
 
[[吉田茂]]とは政治的立場において全く相容れないものがあったが、意外にも人間的にはウマが合う間柄だったようである。吉田は晩年、随筆「大磯の松」で 「共産党の徳田球一君は、議会で私を攻撃する時はまことに激しい口調であるが、非常にカラッとした人で、個人的には好きな型の人であった。敵ながら、愉快な人物であった」と述べている。{{要出典範囲|date=2019年6月4日|吉田は終戦時40日ほど獄中にあったが、その経験から18年獄中にあった徳田にある種の敬意を抱いていたとも言われている}}
 
{{Quotation|共産党には第一次組閣の当初から悩まされ続けたが、最初の書記長だった徳田球一という人物に対しては、私はどういうわけか、余り強い反感を持たなかった。もちろん、徳田君は粗野無遠慮、私の組閣阻止のためにその一党を以って夜中官邸を囲み塀を乗り越えて侵入したり、宮中の大膳部へ暴徒を連れ込んだり、例の2.1ストの時などは最後まで頑強に抵抗を続け警察をてこずらせたり、(粗野、無遠慮で)厄介且つ怪しからぬ男ではあったけれど、他の共産主義者が、何となく嫌味で、悪辣で執拗であったに反して、悪感を抱かせるようなところは少なかった。むしろ稚気愛すべしとも思われた。
――徳田球一というのは、だいたいどんな男だったんですか。<br />'''石橋''' おもしろい男だった。ガラガラして……。話はわかるですね。僕がはじめて彼に会ったのは、立川かどこかの選挙演説で休憩のときだった。そのとき徳田君は、ナタ豆キセルで煙草をのんでいる男がそれだった。「石橋さんですか、『東洋経済』にはたいへんごやっかいになりました」という。「監獄にいる間に、『東洋経済』だけは入れてくれた。『東洋経済』だけが世間を知る窓口になった」というのです。|石橋湛山『湛山座談』}}
 
{{要出典範囲|date=2019年6月4日|国会での演説が長いとヤジられた際には、「ではトッキュウでまいります」と応じる一面もあった。「特急」と「徳球」をかけたユーモアである。}}
 
== 日本共産党における評価 ==
[[宮本顕治]]が党首となり、「自主独立の党」を標榜するようになった後の日本共産党においては「1950年から1955年にかけて徳田球一と野坂参三の分派がソ連や中国の言いなりとなって武装闘争路線を持ち込もうとしたが、宮本顕治はこれに反対した」「50年問題でソ連など干渉者の指揮のもとに誤った道に踏み込んだのは党中央の一部の幹部、徳田・野坂分派に属するごく少数の者にとどまる」「50年問題を経て党は自主独立の立場を確立した」という立場をとっているため、徳田球一は否定的に扱われている<ref name=akahata20160324>{{cite news |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-24/2016032401_03_0.html|title=「議会の多数を得ての革命」の路線は明瞭 政府の「暴力革命」答弁書は悪質なデマ |author= |work= [[しんぶん赤旗]] |date= 2011年9月22日 |accessdate=2019年6月4日}}</ref><ref name=akahata20110604>{{cite news |url=http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-22/2011092209_01_0.html|title=「綱領教室」 志位委員長の第7回講義 第3章 世界情勢―20世紀から21世紀へ(2)自主独立のたたかい追体験 |author= |work= [[しんぶん赤旗]] |date= 2011年9月22日 |accessdate=2019年6月4日}}</ref><ref name=akahata20110604>{{cite news |url=http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-12/2007081225_01_0.html|title=日本共産党創立85周年記念講演会 日本共産党史85年と党発展の現段階 不破哲三前議長の講演(大要)|author= |work= [[しんぶん赤旗]] |date= 2007年8月12日 |accessdate=2019年6月4日}}</ref>。
 
== 文献 ==
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