「アルバート・フィッシュ」の版間の差分

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| date_of_death = {{死亡年月日と没年齢|1870|5|19|1936|1|16}}
| place_of_death = {{USA}}・[[ニューヨーク州]]
| cause of death = [[電気椅子]]での処刑による刑死
| alias = 満月の狂人<br />ブルックリンの吸血鬼
| number of victims = 正確な人数は不明
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| end year = [[1934年]]
| conviction = [[殺人罪]]
| sentence = [[アメリカ合衆国における死刑|死刑]]
| apprehended=1934年
| country= {{USA}}
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== 若年期・犯罪 ==
ハミルトン・フィッシュとして[[ワシントンD.C.]]で生まれる。この家系では代々[[精神疾患]]患者が多く、母は幻覚をよくみた上、彼の兄弟は精神薄弱者であり、叔父も躁病に悩んでいた。父のランダールは彼が生まれた当時75歳であり、母のエレンよりも43歳も年上だった。5歳の時、[[]]の死により[[孤児院]]に預けられ、ここで成長する。この孤児院では教鞭による指導が行われており、フィッシュはこれによって叩かれている。この鞭打ちが、フィッシュに快感をもたらした。[[]]をむき出しにして鞭で叩かれ、その最中に勃起した。この環境は、フィッシュに[[SM (性風俗)|サドマゾ]]嗜好を与えたと考えられている。一方で、「反省するたびに鞭打ちを喰らうのだが、これは何の意味も無い。子供たちは、鞭で殴られるたびに悪くなっていった」とも語っている。彼はこの頃を振り返り、自分は鞭打ちを楽しみにする唯一の子供だったと、述懐している。
 
[[1898年]]、9歳年下の女性と結婚し、6子を儲ける。フィッシュの実子は「フィッシュによる暴力などは無く、一般的な子供時代をすごした。ただ、時折自分を釘が打ち込まれた板で叩くように頼んだものだった」と語っている。後に「オイボレのスカンク野郎」「奴にしてやれることなど何もない」と罵ってもいる。妻との離婚後、家に遊びに来た子供に対して、[[鋲]]を打ちつけた[[]]を渡して、自分の尻を叩くように言っている。子供から、どうしてこんなことをさせるのか問われると、フィッシュは、「これによって名状しがたい感覚が体を貫く、[[イエス・キリスト|キリスト]]の[[受難]]を越えなければならない」と語っていた。フィッシュは自分の体が殴られるたびに喜び、涎を流して射精し、それを子供たちに見せ付けた。結婚19年目、フィッシュの妻が、近所に住む精神薄弱者と恋に落ち、さらには同居させて欲しいと言い出した。フィッシュは1度2人を別れさせるも彼女は再びその男と密会していたことで、フィッシュは妻を追いやった。彼はしばしば雑誌の恋人募集欄を読み、「板でも[[釘]]でも何でも使って私を叩いて欲しい。あなたの奴隷になりたいのです」というSM行為を懇願する[[手紙]]を、未亡人に送っていた。だが、返事は一通も来なかった。
 
[[ファイル:Pelvis_of_Albert_Fish_(X-ray).jpg|thumb|200px|針が突き刺さったフィッシュの陰嚢のレントゲン写真]]