「天台宗」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎日本の天台宗: タイプミスを修正
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 Androidアプリ編集
編集の要約なし
133行目:
しかしながら、鳩摩羅什の訳した『法華経』は、現存するサンスクリット本とかなり相違があり、特に天台宗の重んじる方便品第二は鳩摩羅什自身の教義で改変されている」という説がある。羅什が『法華経』・『摩訶般若波羅蜜経』・『大智度論』を重要視していたことを考えると、天台教学設立の契機は羅什にあるといえなくもない。
 
[[天台山]]に宗派の礎ができた後、[[涅槃宗]]を吸収し天台宗が確立した。主に智顗の『[[智ギ|法華玄義]]』『[[法華文句]]』『[[摩訶止観]]』の三大部を天台宗の要諦としている。これらの智顗の著作を記録し編集したのが、第四祖[[章安灌頂]]([[561年]]-[[632年]])である。灌頂の弟子に[[智威]](?-[[680年]])があり、その弟子に[[慧威]]([[634年]]-[[713年]])が出て、その後に[[左渓玄朗]]([[672年]]-[[753年]])が出る。灌頂以後の天台宗の宗勢は振るわなかったため、玄朗が第五祖に擬せられている。
 
玄朗の弟子に、天台宗の中興の祖とされる第六祖、荊渓[[湛然]]([[711年]]-[[782年]])が現れ、三大部をはじめとした多数の天台典籍に関する論書を著した。その門下に[[道邃]]と[[行満]]が出て、彼等が[[最澄]]に天台教学を伝えた。