「札仙広福」の版間の差分

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[[高度経済成長]]期にあたる[[1969年]]([[昭和]]44年)策定の[[新全国総合開発計画]](新全総)では、[[札幌都市圏]]、[[仙台都市圏]]、[[広島都市圏]]、[[北九州・福岡大都市圏|福岡・北九州都市圏]]([[福岡都市圏]]および[[北九州都市圏]])の4つの[[都市圏]]が、三大都市圏に次ぐ「地方中枢都市圏<ref>[http://www.mlit.go.jp/yougo/j-t2.html 地方中枢都市圏](国土交通省 用語解説ページ)</ref>」とされており、これら4都市圏を指して札仙広福とする場合もある<ref group="†">例えば、{{PDFlink|[http://www.dbj.jp/reportshift/report/local_research/pdf_all/vol_09_1.pdf 人口変動から見たわが国大都市圏の変容過程]}}([[日本政策投資銀行]])。この論文において「福」は、[[北九州・福岡大都市圏]]を指している。</ref>。
 
大資本が投入された[[四大工業地帯]]に大都市が形成された[[重厚長大]]の[[第二次産業]]の時代から、工業が[[軽薄短小]]にその中心が移行すると、[[第三次産業]]が都市の拠点性に影響を与えるようになった。特に地方では、商業([[支店経済都市]])や行政(予算規模が数千億円から兆円単位)の集積が拠点性に影響した。すると、[[北陸地方]]の[[新潟市]]([[新潟県]])や[[金沢市]]([[石川県]])、[[四国地方]]の[[高松市]]([[香川県]])、[[九州地方]]の[[熊本市]]([[熊本県]])等も拠点性がみられたが、これらの都市は経済におけるテリトリーの規模が「札仙広福」と比べて各々が小さく、都市類型として「札仙広福」に並び称されるようにはならなかった。
 
高度経済成長期から[[半世紀]]経った現在、「札仙広福」はスポーツや文化の[[興行]]の面でも拠点性を持つようになっている。しかし、集客力や収益性が各都市(各都市圏)の人口順や経済規模順([[#統計]])に必ずしも従わないことが分かっている([[#四大プロ]]参照)。