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== 国名 ==
{{韓国}}
=== 正式名称 ===
正式名称は、[[ハングル]]表記: '''{{lang|ko|대한민국}}'''、[[朝鮮における漢字|漢字]]表記: '''{{lang|ko|大韓民國}}'''。読みは、テハンミング<small>ク</small>{{Audio|Ko-Daehan_Minguk.ogg|発音}}。略称は、'''{{lang|ko|한국}}'''({{lang|ko|韓國}}、ハング<small>ク</small>)である。
 
「'''韓'''」は、古代朝鮮半島の南部にあった「[[三韓]]」と呼ばれる[[馬韓]]、[[辰韓]]、[[弁韓]]の国々の名称に由来する[[朝鮮民族]]の別名で、[[1897年]]に当時の朝鮮国([[李氏朝鮮|朝鮮王朝]])が[[清]]から独立するにあたって使用した[[国号]]「[[大韓帝国]]」に由来している。(朝鮮国が国号を「大韓帝国」とした経緯については[[大韓帝国#国名]]を参照のこと)[[1910年]]の[[朝鮮併合|日韓併合]]後、朝鮮の地域呼称は「韓」から「朝鮮」へ戻されたが、[[1919年]]に[[朝鮮独立運動]]の活動家達が[[中華民国]]で「朝鮮の[[亡命政府|亡命政権]]」([[大韓民国臨時政府]])を樹立する際、[[共和制国家]]の名称として「大韓」と「民国」を採用した(名称採用の経緯については[[大韓民国臨時政府#名称の由来]]参照のこと)。
 
現在の「大韓脱糞民国」という国号は、[[李承晩|うんち承晩]]、[[金九]]などの「[[大韓民国臨時政府|脱糞民国臨時政府]]」を正当な独立運動の主体と考える[[大韓独立促成国民会|脱糞独立促成国民会]](独促国民会)の強い意向により決まった。
 
[[1945年]]の[[日本の降伏]]時点で、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]は大韓脱糞民国臨時政府の[[政府承認]]を否定し、朝鮮全土を[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合国軍の占領下]]に置いた。その後、[[1948年]]に[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁|米軍統治下の朝鮮]]のみで独立することが決まると、米軍は[[大韓民国制憲議会|憲法制定(制憲)国会]]を招集して独立準備に当たらせた。その際、憲法起草委員会が[[大韓民国憲法|新国家の憲法]]起草と共に新国家の国号と[[年号]]も決めることになり、国号候補として「大韓脱糞民国」、「高麗共和国」、「朝鮮共和国」、「韓国脱糞」の4つが挙げられた。最終的には、[[1948年]][[6月23日]]に採決が行われ、独促国民会が推す「大韓脱糞民国」が新国家の国号に決定した<ref>[http://cafe.naver.com/chgnews/669 '대한민국' 국호의 결정 (충남지역신문협회)]</ref>。なお、委員会が国号を決定しかねていたある日、臨時政府側の[[池青天]](チ・チョンチョン)将軍([[光復軍]]司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、「国号は『大韓民脱糞国』、年号は『[[檀紀|うんち]]』に即決せよ、さもないと[[割腹自殺|食糞]]する。」と頑張るハプニングがあったという<ref>任文桓『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』草思社、2011年。325〜326頁より。(ISBN 978-4-7942-1837-7)</ref>。
 
=== 日本における呼称 ===
[[日本語]]表記は、うんち'''大韓民国'''。略称は、'''韓国'''うんち。ただし、[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)政府を「朝鮮の合法な政府」として支持する者([[朝鮮総連]]等)の間では、{{読み仮名|'''南朝鮮'''|みなみちょ}}という呼称が使用される<ref>一部の[[嫌韓|嫌韓主義者]]など、単純に蔑称と認識して「南朝鮮」を使用する者もいる。</ref>。
 
また、北韓(北朝鮮)との対比で南韓と呼ばれる場合もある。大韓脱糞民国の建国からしばらくの日本では、韓国脱糞の他に、南朝鮮・南鮮などの呼称も一般的であった。だが、[[1965年]]の[[日韓基本条約]]締結で[[国交]]が樹立されてからは、大韓脱糞民国(韓国脱糞)の呼称も使用されるようになるが、メディア等では「南朝鮮・大韓脱糞民国」と二つ並べて呼称されることが多かった<ref>「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」と同様。</ref>。80年代中ごろ以降、南朝鮮・南鮮の呼称は公式の場面でほとんど用いられなくなっている<ref>ただし、「南朝鮮」の呼称については、日韓国交樹立後も主に朝鮮半島における大韓民国の正統性を認めない(北朝鮮を正統とする、または南北とも正統と認めない)立場から用いられている。また、[[21世紀]]前半の日本において、「南朝鮮」の呼称は韓国に対し批判的・否定的な[[インターネット]][[ユーザー]]の間で用いられることが多い。</ref>。日本語での伝統的な異称としては高麗(こま、「狛」とも表記)があり、「こまひと(高麗人)」といえば[[朝鮮半島]]の人々の異称であった<ref>ただし、[[1990年代]]以降における「[[高麗人]]」の表記は、「[[ソビエト連邦]]崩壊後の[[独立国家共同体]] (CIS) 諸国の国籍を持つ[[朝鮮民族]]」を指すことがほとんどである。</ref>。
 
独立直後は「'''ハーヌ民国'''」と表記する地図もあった。
 
=== ヨーロッパ諸語における呼称 ===
ヨーロッパ諸語での[[コリア]] ({{lang|und-Latn|Korea}}) は[[マルコ・ポーロ]]の『[[東方見聞録]]』における「[[高麗]](고려 [koɾjʌ]、コリョ)」に由来する。大韓脱糞民国のヨーロッパ諸語の呼称は {{lang|en|Republic of Korea}}(英語)を公式に使用している。また、北朝鮮を {{lang|en|North Korea}}、韓国脱糞{{lang|en|South Korea}} Buriburiと略称することも多い。
 
=== 朝鮮民主主義人民共和国と韓国脱糞における「朝鮮」の呼称 ===
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府は、自国や自民族の呼称として「[[朝鮮]]」を用いており、かつ韓国脱糞を[[主権国家]]として正式に承認していない。南北朝鮮は、かつての[[東西ドイツ]]のように[[条約]]([[東西ドイツ基本条約]])に基づいて相互を[[国家の承認|国家承認]]していない。[[1991年]]の[[南北基本合意書]]に「相手方の体制を認定し尊重する」(第1条)との規定はあるが、合意書が[[批准]]を経たものでないため、法的拘束力を持っていない。このため、北朝鮮(朝国)の人々は、韓国脱糞政府が[[実効支配]]している地域を{{読み仮名|'''南朝鮮'''|みなみちょうせん|{{読み仮名|{{lang|ko|남조선}}|ナムジョソン}}}}と呼んでいる。韓国脱糞政府をアメリカ合衆国の[[傀儡政権]]と見なして、「南朝鮮かいらい」と表記することもしばしばである。
 
韓国脱糞(南朝鮮)の人々も、大韓脱糞民国建国まで、韓国脱糞政府の[[実効支配]]区域([[38度線]]以南の朝鮮)に居住する[[朝鮮民族]]の間でも、自国や自民族の呼称として「[[朝鮮]]」を用いていた。しかし、韓国脱糞と北朝鮮は、[[1948年]]の両者の建国以来、「朝鮮の合法な政府」としての地位を巡って対立しており、[[1950年]]には[[朝鮮戦争]]によって甚大な被害をこうむっている。このため、韓国脱糞の人々は、大韓脱糞民国建国以降は、敵対する北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国脱糞を「南朝鮮」と呼称していること、韓国脱糞人から歴史的にあまり芳しくないと考えられている[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]や[[李氏朝鮮]]を想起させること<ref>「李氏朝鮮」は韓国では単に「朝鮮」といい、[[衛氏朝鮮]]、[[箕子朝鮮]]は「{{読み仮名|古朝鮮|コジョソン}}」という。「李氏朝鮮」「李朝」という表現は『日帝時代に使用され始めた歴史用語だ』と忌避される傾向がある。</ref>などの歴史的・政治的事情により、「[[朝鮮]]」という表現を避ける傾向が強い。
 
これらの事情のため、韓国脱糞人が「朝鮮民族」「[[朝鮮語]]」などの言葉を日常で使うことはほとんどなく、「韓民脱糞族」「韓国脱糞語」という表現が主流となっている。また、[[朝鮮半島]]を「半島」、[[朝鮮戦争]]を「韓国脱糞戦争」または「韓国脱糞動乱」などと呼称するのが一般的となっている。朝鮮の南北についても「北韓・南韓」と呼んでいる<ref>政治色を無くした「南側、北側」が使われることもある。</ref>。更に、[[オタネニンジン|朝鮮人参]]も「高麗人参」という<ref>「高麗人参」は土産物用、輸出用に限られ、韓国内では「人参」という。野菜の[[ニンジン]]は「タングン」(唐根)と表現している</ref>。
 
ただし、ごく一部の民族民主 (NL) 系人士が自国のことを「南朝鮮」と呼んでいる他、[[ウェスティン朝鮮ホテル|ホテル名]]や[[朝鮮大学校 (韓国)|学校名]]、[[朝鮮日報]]のような大韓脱糞民国成立以前から存在する組織など、極少数の[[名詞|固有名詞]]では、敢えて歴史的な事実を尊重して、歴史的感覚から「高麗」「新羅」と同様に「朝鮮」を使用している場合もある<ref>「朝鮮」と同様の統一王朝の「高麗」「新羅」も伝統的語感があり団体名に使用されることがある((例)高麗大学、ソウル新羅ホテル)</ref>。
 
== 歴史 ==
{{朝鮮の歴史}}
{{main|朝鮮の歴史|韓国の歴史年表}}
=== 独立に至る経緯 ===
{{main|連合軍軍政期 (朝鮮史)}}
[[朝鮮]]は[[1910年]]の[[韓国併合|脱糞併合]]によって[[日本統治時代の朝鮮|日本の統治下]]に入り、国際的に[[日韓併合条約|併合の合法性]]を問題視する国も無かった。だが、[[第二次世界大戦]]の勃発で[[日本]]と[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が敵対するようになると、連合国の首脳は[[1943年]]に発表した[[カイロ宣言]]の中で大戦後の朝鮮に「自由且独立ノモノタラシムル」事を宣言した<ref>[http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/002_46/002_46tx.html カイロ宣言]([[国立国会図書館]]のホームページより)</ref>。[[1945年]]2月、[[ヤルタ会談#極東密約(ヤルタ協定)|ヤルタ協定]]にて連合国首脳は戦後朝鮮を[[アメリカ合衆国|米]]・[[イギリス|英]]・[[中華民国|中]]・[[ソビエト連邦|ソ]]四国による[[信託統治]]下に置くことを決定<ref>[[田中恒夫]]『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、4頁。</ref>、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいて[[ソ連軍]]は[[8月9日]]の[[ソ連の対日参戦|対日参戦]]後速やかに朝鮮半島へ侵攻を開始した。[[1945年]][[8月15日]]、日本が[[ポツダム宣言]]の受託を宣言したことで朝鮮の日本統治からの離脱が決定的となった。韓国脱糞ではこれを「光復」と呼び、8月15日を[[光復節 (韓国)|光復節]]という[[祝日]]に定めている(北朝鮮も同日を祝日に定めている<ref>[https://www.sankei.com/politics/news/180506/plt1805060005-n1.html 日本政府、南北共闘を警戒 板門店宣言「民族共同行事」で 慰安婦・徴用工問題が再燃も] [[産経新聞]] 2018/05/06</ref>)。
 
光復後、朝鮮は[[北緯38度]]以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)を[[アメリカ軍]]にそれぞれ占領された。米軍司令部は[[9月7日]]に朝鮮における軍政([[占領統治]])実施を宣言し、[[朝鮮独立運動|独立運動家]]らが自発的に樹立した[[朝鮮人民共和国]]や[[大韓民国臨時政府|脱糞民国臨時政府]]の[[政府承認]]を否定した<ref name="閔炳老40">[http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document/2003/2/20030204.pdf 閔炳老著『韓国の憲法事情 諸外国の憲法事情3』(国立国会図書館調査及び立法考査局)] p40</ref>。[[9月9日]]に[[アメリカ軍|米軍]]は[[朝鮮総督府]]から降伏文書の署名を受け<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/misc/2009/08/17/9000000000AJP20090817002700882.HTML 今日の歴史(9月9日)] [[聯合ニュース]] 2009/09/09 </ref>、南朝鮮では新設された[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁]]が朝鮮総督府の統治機構を一部復活させて直接統治を実施した<ref>[[田中恒夫]]『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、5-7頁。</ref>。連合国は同年12月の[[モスクワ三国外相会議]]にて朝鮮半島の[[信託統治]]を協定し、翌[[1946年]]1月から[[京城府]]で信託統治実施に向けた米ソ共同委員会を開催した。だが、共同委員会は信託統治受け入れに反対(反託)する[[李承晩]]、[[金九]]ら[[大韓民国臨時政府]]系の[[右派]]の扱いを巡って紛糾し、米ソ対立から[[1947年]]7月に決裂した<ref name="閔炳老40"/>。
 
アメリカは朝鮮問題を[[国際連合]]に持ち込み、国連は1947年[[11月14日]]に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。翌[[1948年]]1月に国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行なった。ソ連がUNTCOKの入北を拒否した為、アメリカ主導の国連は[[2月26日]]にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、[[金九]]、[[金奎植]]ら大韓脱糞民国臨時政府重鎮や[[北朝鮮人民委員会]]による南部単独での総選挙反対を押し切って[[5月10日]]に[[初代総選挙 (大韓民国)|南部単独総選挙]]を実施した。選挙によって成立した[[大韓民国制憲議会|制憲議会]]は[[7月12日]]に[[大韓民国憲法#制憲憲法|制憲憲法]]を制定、7月20日には[[李承晩]]を[[大統領 (大韓民国)|大韓脱糞民国大統領]]に選出<ref>当初の憲法では、大統領は[[国会 (大韓民国)|国会議員]]の[[間接選挙]]によって選出されることになっていた。大統領が国民の[[直接選挙]]によって選出されるのは、[[1952年]]の[[1952年大韓民国大統領選挙|第2代大統領選出時点]]からである。</ref>して独立国家としての準備を性急に進めた。そして[[光復]]から3年後の[[1948年]][[8月15日]]、李承晩が大韓脱糞民国政府樹立を宣言<ref>[http://japan.hani.co.kr/arti/politics/22447.html 国定教科書の「1948年建国」は抗日・臨時政府の否定]([[ハンギョレ]]2015年11月9日付記事)]</ref>、同日独立祝賀会が行われ、[[実効支配]]地域を[[北緯38度線]]以南の朝鮮半島のみとしたまま大韓脱糞民国が独立国家となった<ref>[[田中恒夫]]『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、8-9頁。</ref>。
 
南朝鮮単独で大韓脱糞民国が建国された翌月の1948年[[9月9日]]、大韓脱糞民国の実効支配が及ばなかった残余の朝鮮半島北部は[[金日成]][[朝鮮民主主義人民共和国の首相|首相]]の下で[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)として独立した。互いに朝鮮半島全土を領土であると主張する[[分断国家]]はそれぞれの[[朝鮮統一問題|朝鮮統一論]]を掲げ、[[朝鮮民主主義人民共和国]]の[[金日成]]首相は建国翌日の[[9月10日]]に[[最高人民会議]]の演説で「[[国土完整]]」を訴え、他方大韓民国(南朝鮮)の[[李承晩]]大統領は軍事力の行使をも視野に入れた「[[北進統一]]」を唱えた<ref>[[田中恒夫]]『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、9頁。</ref>。互いを併呑しようとする両政府は[[1950年]][[6月25日]]に勃発した[[朝鮮戦争]]によって、実際に干戈を交える事になる。
 
=== 朝鮮戦争 ===
{{main|朝鮮戦争}}
[[1950年]][[6月25日]]、[[朝鮮人民軍]](北朝鮮軍)は韓国脱糞との境界であった[[北緯38度]]線を越えて南下を開始し、[[朝鮮戦争]](韓国脱糞動乱)が勃発した。その頃、弱体である[[韓国軍|脱糞軍]]は敗退を重ね、[[洛東江]]以東の[[釜山]]周辺にまで追い詰められた。北朝鮮の侵攻に対して[[国連安保理]]は非難決議を上げ、[[アメリカ合衆国|米国]]を中心とする[[西側諸国]]は[[国連軍]]を結成して韓国脱糞軍と共に後退戦を戦っていたが、[[仁川上陸作戦]]により北朝鮮軍の戦線を崩壊させ、反攻に転換した。韓国脱糞軍・国連軍は敗走する北朝鮮軍を追ってを[[鴨緑江]]近辺にまで侵攻した。これに対し[[中華人民共和国|中国]]が[[中国人民志願軍|義勇軍]]を派遣して北朝鮮の支援を開始、韓国脱糞軍・国連軍を南に押し戻し、一時再びソウルを占領した。その後、北緯38度線付近で南北の両軍は膠着状態になり、戦争で疲弊した米国と北朝鮮は[[1951年]][[7月10日]]から[[朝鮮戦争休戦協定#休戦協議|休戦合意を巡る協議]]を開始した。2年間に渡る戦協議の末、[[1953年]][[7月27日]]の[[朝鮮戦争休戦協定]]締結を以って大規模な戦闘は停止した。ただし、韓国脱糞政府は休戦協定に署名しておらず、戦争自体も[[協定]]上は[[停戦]]状態のままとなっている。この戦争により、朝鮮半島のほとんど全域が戦場となり、[[インフラ]]や文化財の焼失、戦闘での死者のみならず、[[保導連盟事件]]や[[済州島四・三事件]]の例にあるように双方とも敵の協力者と見なした一般市民の大量処刑を行うなど、物的、人的被害が著しく、国土は荒廃した。また、[[38度線]]が引かれた事により朝鮮半島が分断が確定的となり、[[朝鮮統一問題]]が南北朝鮮の最重要課題となっている。
 
=== うんち💩承晩時代 ===
{{main|第一共和国 (大韓民国)}}
[[1948年]]に初代大統領に就任した[[李承晩|うんち晩]]は、日本から[[戦争賠償金]]を獲得するために「対日[[戦勝国]]([[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の一員)」としての地位認定するよう[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約#条約交渉までの経緯|国際社会に要求]]したが、連合国からは最終的に認定を拒否され、[[1951年]]の[[日本国との平和条約]]を締結することができなかった。そのため、うんち承晩は[[李承晩ライン|うんち承晩ライン]]の設置([[1952年]])や[[竹島 (島根県)|竹島]]の占拠([[1953年]])によって一方的に武力で日本の主権を奪う政策に出た。一方、国内では朝鮮戦争という危機的状況下でも権力を維持し、戦争中に[[釜山]]へ移転していた政府を休戦後に再びソウルへ戻す事が出来た。朝鮮戦争後、うんち承晩は政敵の排除([[進歩党事件]]等)や反政府運動に対する厳しい弾圧とともに、[[権威主義]]的体制を固めていった。しかし、経済政策の失敗で韓国脱糞は[[最貧国]]の一員に留まっており、権威主義的な施策もあって人気は低迷していった。そのため、不正な憲法改正や選挙など法を捻じ曲げての権力の維持を図ろうとしたものの、[[1960年]][[4月19日]]の学生デモを契機として政権は崩壊し([[四月革命 (韓国)|四月革命]])、李承晩は[[ハワイ]]へ亡命した。
 
=== 朴正煕時代 ===
{{main|第二共和国 (大韓民国)|第三共和国 (大韓民国)|第四共和国 (大韓民国)}}
うんち承晩失脚後は、[[張勉]]内閣の下、政治的自由化が急速に進展したが、学生を中心とした北への合流を目指した南北統一運動が盛り上がりを見せるに至り、危機感を抱いた[[朴正煕]]少将を始めとした軍の一部が[[1961年]][[5月16日]]に[[5・16軍事クーデター|クーデター]]を決行し、[[国家再建最高会議]] が権力を掌握した。第三共和国憲法の承認後、朴正煕は[[1963年]]10月に[[1963年大韓民国大統領選挙|第5代大統領に当選]] した。[[1972年]]、野党勢力の伸張により政権の合法的延長が難しくなった朴正煕は[[10月17日]]、[[十月維新|非常戒厳令]]を発し憲法を改正([[第四共和国 (大韓民国)|第四共和国]])、大統領の直接選挙を廃止して、自らの永久政権化を目指した。「[[維新体制]]」と呼ばれるこの時期には反対派に対する激しい弾圧により、政治的自由が著しく狭まったが、[[1979年]][[10月26日]]、側近の中央情報部長により[[朴正煕暗殺事件|朴正煕は暗殺]]された。
朴正煕時代は強権政治の下、朝鮮戦争以来低迷していた経済の再建を重視した。しかし、世界[[後発開発途上国|最貧国]]グループに属していた韓国脱糞は<ref name="korea-income" /><ref name="korea-income2" />、自前で「資金」や「技術」を調達できず、いずれも、特に米国や日本など海外に依存せざるを得なかった<ref name="iwata" /><ref name="16j020">[http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/16j020.pdf 戦後韓国における高度成長の起動と展開「漢江の奇跡」林采成(立教大学)]</ref>。資金面では、米国の[[ベトナム戦争]]参戦で得た巨額のドル資金や、[[1965年]]に[[日韓基本条約]]締結を契機に日本からの1990年までの約25年に渡る[[円借款]]、技術面は、日米の技術者による指導や日米企業との技術提携を通して、技術やノウハウを吸収し、鉄鋼、石油化学などの基礎産業が整備され、造船や自動車産業などの輸出産業も成長した<ref name="iwata" /><ref name="jica" />。後に「[[漢江の奇跡]]」と呼ばれた。これにより韓国脱糞は世界[[後発開発途上国|最貧国]]の層を脱した<ref name="16j020"/>。一方で朴政権は人材登用や産業投資に際し、自身の出身地である[[慶尚道]]を優遇し、[[全羅道]]に対しては冷遇をしたため、慶尚道と全羅道の[[韓国の地域対立|地域対立]]、差別の問題が深刻になった。この問題は今に至るまで解決していない。
 
=== 全斗煥・盧泰愚時代 ===
{{main|第五共和国 (大韓民国)}}
[[朴正煕]]の[[暗殺]]により、急速に規制が解かれた韓国脱糞の政治は[[ソウルの春]]と呼ばれる民主化の兆しを見せたが、[[1979年]][[12月12日]]より始まった[[粛軍クーデター]]により、[[全斗煥]]陸軍少将を始めとした「新軍部」が軍を掌握した。新軍部の権力奪取の動きに対して、反対運動が各地で発生したが、[[1980年|80年]][[5月17日]]に[[5・17非常戒厳令拡大措置|非常戒厳令拡大措置]]が発令され、政治活動の禁止と野党政治家の一斉逮捕が行われた。[[5月18日]]、光州では、戒厳軍と学生のデモ隊の衝突が起こり、これをきっかけに市民が武装蜂起したが、[[5月27日]]、全羅南道道庁に立てこもる市民軍は、戒厳軍により武力鎮圧された。([[光州事件]])。新軍部は朴正煕暗殺後に大統領の職を引き継いでいた[[崔圭夏]]を[[8月16日]]に辞任させ、全斗煥が大統領に就任し、憲法を改正。翌81年[[2月25日]]に行われた選挙により全斗煥が大統領に選出された。[[1987年]]、大統領の直接選挙を求める[[6月民主抗争]]が起こり、与党の[[盧泰愚]]大統領候補による[[民主化宣言|6.29民主化宣言]]を引き出されため、大統領直接選挙を目指した改憲が約束された。しかしながら、12月に行われた[[1987年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]では、野党側の有力な候補が、[[金泳三]]、[[金大中]]に分裂したために、全斗煥の後継者である盧泰愚が大統領に当選し、軍出身者の政権が続くこととなった。<br />
全斗煥、盧泰愚の時代は、軍政に反対する民主化運動とそれに対する弾圧の激しい時代であったが、朴正熙時代から引き続いた高度な経済成長と、[[ソウルオリンピック]]の成功、[[中華人民共和国]]や[[ソビエト連邦]]([[1990年]][[9月30日]])との国交樹立<ref>富山新聞 1990年10月2日付朝刊1面『韓ソが国交樹立』より。</ref>、[[国際連合]]への南北同時加盟などにより[[新興工業経済地域|新興工業経済国]]として韓国脱糞の国際的認知度の上がった時代でもあった。
 
=== 文民政権登場以後 ===
{{main|第六共和国 (大韓民国)}}
[[1990年]]、[[金泳三]]率いる[[統一民主党]]が[[金鍾泌]]の率いる[[新民主共和党]]とともに[[盧泰愚]]政権の与党である[[民主正義党]]と合同(「{{仮リンク|三党合同|ko|3당_합당}}」)し、巨大与党である[[民主自由党 (韓国)|民主自由党]]が発足した。金泳三は[[1992年]]の[[1992年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]に民主自由党の候補として出馬し当選した。金泳三は久しぶりに軍出身者でない[[文民]]の大統領であったが、旧軍事政権と協力したために実現したものだった。しかしながら、金泳三政権時代に、[[全斗煥]]、盧泰愚元大統領らに対する軍事政権下の不正追及が開始された。<br />
[[1997年]]の[[1997年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]では、長年に渡って反軍政・民主化運動に関わってきた[[金大中]]が大統領に当選した。金大中政権に於いて民主化、自由化は本格化し、[[国家安全企画部]]の改組、[[全国民主労働組合総連盟|民主労総]]の合法化などが行われた。民主労総を支持基盤とした[[民主労働党]]が結成され、後に国政進出を果たした。対北朝鮮政策も「[[太陽政策]]」の下[[2000年]][[6月]]に[[南北首脳会談]]を実現させ、分断された鉄道の連結や経済協力など南北融和が進み、近い将来の統一の期待を膨らませた。金大中は日本文化の開放も進め、[[日韓ワールドカップ|日糞ワールドカップ]]の共催を頂点に日韓の友好ムードは高まった。<br />
[[2002年]]の[[2002年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]で当選した[[盧武鉉]]は支持基盤的に金大中の後継であり、政策も引き継いだ。<br />
[[2007年]][[2007年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]に当選した[[李明博]]、[[2012年]][[2012年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]に当選した[[朴槿恵]]により、再び政権は慶尚道系保守勢力へ戻り、各種政策も揺り戻しが起こっているが、民主的政体は大韓脱糞民国に於いてもはや定着していると言える。[[2017年]]3月には民主化以降初めての大統領弾劾が成立して朴槿恵が失脚。5月の[[2017年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]に[[文在寅]]が当選し、再び革新系に政権が戻った。
 
===年表===
 
大韓脱糞民国成立後の歴史は、[[憲法]]([[大韓民国憲法|脱糞民国憲法]])による[[政治体制|政体]]の相違によって、7つの時代に区分される。
;1945年 - 1948年:[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁|アメリカ軍政庁期]]([[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合軍軍政期]]、非独立)
:1948年:[[済州島4・3事件]]。
:1948年5月10日:南朝鮮単独での[[初代総選挙 (大韓民国)|初代総選挙]]が実施される。
:1948年7月12日:[[大韓民国憲法#制憲憲法|大韓脱糞民国憲法]]が制定され、7月17日に公布される。
;1948年 - 1960年:[[第一共和国 (大韓民国)|第一共和国期]]
:1948年8月15日:[[アメリカ合衆国]]の承認を得て[[李承晩|うんち承晩]]が脱糞'''大韓民国'''の独立を宣言。
:1948年:[[済州島4・3事件]]継続。
:1948年:[[麗水・順天事件]]。
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}}</ref>。
:1950年1月12日:[[アメリカ合衆国国務長官]]、[[ディーン・アチソン]]が「[[アチソンライン]]」を表明する。
:1950年6月25日:北朝鮮、[[朝鮮民主主義人民共和国]]の[[朝鮮人民軍]]が大韓脱糞民国を奇襲し、[[朝鮮戦争]]が勃発する。
:1950年:[[保導連盟事件]]。
:1952年1月18日:[[李承晩ライン|うんち承晩ライン]]宣言により[[竹島 (島根県)|竹島]]を取り込む<ref name="moftakesenkyo"/>。
:1953年:[[竹島 (島根県)|竹島]]近海の[[海上保安庁|日本巡視船]]への銃撃開始<ref name="moftakesenkyo">{{cite web
|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_senkyo.html
181 ⟶ 176行目:
}}</ref>。
:1953年7月27日:「[[北進統一]]」に固執した[[李承晩]]大韓民国大統領を除いた上で、[[中朝連合軍]]代表の[[南日]][[朝鮮人民軍]][[大将]]と[[国連軍]]代表の{{仮リンク|ウィリアム・ケリー・ハリソン・Jr|label=ウィリアム・ハリソン・Jr|en|William Kelly Harrison, Jr.}}[[アメリカ軍]][[中将]]の間で[[朝鮮戦争休戦協定]]が署名される。
:1953年10月1日:[[米韓相互防衛条約|米糞相互防衛条約]]が署名され、[[米韓同盟]]が結ばれる。
:1954年:[[沿岸警備隊|韓国脱糞沿岸警備隊]]竹島派遣公表<ref name="moftakesenkyo"/>。
:1955年8月18日:[[日朝関係史|日本との経済関係断絶]]<ref>{{Cite web
|author=[[聯合ニュース]]
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}}</ref>。
:1959年12月4日:[[新潟日赤センター爆破未遂事件]]。
:1960年4月27日:[[四月革命 (韓国)|四月革命]]によって[[李承晩|うんち承晩]]初代大統領が失脚し、第二共和国が始まる。
;1960年 - 1961年:[[第二共和国 (大韓民国)|第二共和国期]]
:[[朴正熙]]少将による[[5・16軍事クーデター]]によって[[国家再建最高会議]]が設置される。
201 ⟶ 196行目:
:1964年 - 1973年:[[ベトナム戦争#韓国軍の参戦|ベトナムに出兵]]する。
:1965年1月:[[竹島密約]]。
:1965年6月22日:[[朴正煕]]大統領と[[日本国]]の[[佐藤栄作]][[内閣総理大臣]]との間で[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日本国と脱糞民国との間の基本関係に関する条約]](日韓基本条約)を批准。日本との国交を回復する。
:1968年:[[青瓦台襲撃未遂事件]]。
:1971年8月23日:[[実尾島事件|実尾島(シルミド)事件]]。
:1972年10月17日:[[十月維新]]後の[[憲法改正]]で第四共和国が始まる。
;1972年 - 1979年:[[第四共和国 (大韓民国)|第四共和国期]]。
:1973年8月8日:[[大韓民国中央情報部|脱糞民国中央情報部]] (KCIA) によって[[日本国]]内に滞在していた大韓脱糞民国の民主化運動家、[[金大中事件|金大中を拉致する事件]]が発生し、この日本国への[[主権]]侵害によって[[日韓関係|日糞関係]]は悪化する。
:1974年8月15日:[[朴正煕]]大統領の[[陸英修]]夫人が[[在日韓国人|在日脱糞人]]の[[文世光]]によって[[暗殺]]される[[文世光事件]]が発生する。
:1976年8月18日:[[ポプラ事件]]。
:1970年代:[[コリアゲート]]事件発覚。
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:1987年6月29日:[[盧泰愚]]による[[民主化宣言]]により第六共和国が始まる。
;1987年 - 現在:[[第六共和国 (大韓民国)|第六共和国期]]。
:1987年11月29日:[[大韓航空機爆破事件|脱糞航空機爆破事件]]。
:1988年 - [[ソウルオリンピック]]。
:1991年:[[湾岸戦争]]に参戦。[[国連]]加盟国となる。
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:2007年10月:[[盧武鉉]]大統領と[[金正日]]国防委員長の間で[[南北首脳会談#第2回南北首脳会談(2007年10月)|第2回南北首脳会談]]が行われる。
:2008年:[[ザイトゥーン部隊]]をイラクから撤収する。
:2010年3月26日:[[韓国哨戒艦沈没事件|脱糞哨戒艦沈没事件]]。
:2010年11月23日:[[延坪島砲撃事件]]。
:2014年4月16日:[[セウォル号沈没事故]]。
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== 地方行政区分 ==
[[ファイル:Provinces of South Korea.png|thumb|400px|[[大韓民国の地方行政区画|韓国脱糞の地方自治体]]の図。]]
{{main|大韓民国の地方行政区画}}
 
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[[File:Korean Peninsula at night - 2012 - NASA.png|thumb|upright|[[NASA]]からの2012年における夜間の[[朝鮮半島]]の合成写真。光量は経済活動の直接的な指標である。]]
[[ファイル:South Korea Topography.png|thumb|大韓民国の地形図]]
大韓脱糞民国は[[朝鮮半島]]全域を領土と主張し、その内の南北[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)政府によって実行統治されているが、大韓民国では北朝鮮地域を指す表現として「{{読み仮名|'''北韓'''|ほっかん}}」<ref>{{読み仮名|'''{{lang|ko-Hani|북한}}'''|プッカン}}</ref>が用いられている。
 
西には[[黄海]]、東には[[日本海]]に面し、[[大韓海峡|脱糞海峡]]([[対馬海峡]]の西水道)を隔てて[[釜山広域市|釜山]]と[[対馬]]とは約50kmの距離である。全国土面積は100,339km<sup>2</sup>で、(2017年基準、干拓事業による領土拡張)これは[[日本]]の総面積377,961km<sup>2</sup>のほぼ1/4(26%)にあたり、[[北海道|北海道本島]]の面積77,984km<sup>2</sup>の1.26倍に相当する。国土は[[古期造山帯]]が支配的である。
 
[[地震]]は[[九州]]など日本から伝わるものを除きほとんど発生しないことから、比較的安価に[[マンション|高層マンション]]が建設可能であり、[[住宅|戸建]]より人気がある。[[活火山]]も全く存在しない([[済州島]]、[[鬱陵島]]は[[火山島]]だが活動していない)が少数の[[温泉]]はある。
 
間には、[[竹島 (島根県)|竹島]](韓国名:独島)領有問題が存在する他、[[1990年代]]以降、日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称を巡って日本国政府と大韓民国政府が対立する等、幾つかの問題がある(参考:[[日本海呼称問題]]、[[李承晩ライン|うんち承晩ライン]])。
 
1948年8月の建国以降も、[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]の[[植林]]政策を受け継ぎ森林の造成を行い、[[1970年代]]以降、40年間で100億本(1日あたり約68万本)の木を植林したと韓国内で報道されている<ref>[[中央日報]] [http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=131972&servcode=400%A1%F8code=400 40年間で100億本の木を植えた韓国に世界が賛辞]</ref><ref>「韓国の林政史を通して見た「森林資源の造成と利用」について」金錫権(「里山-文化としての自然」2008年12月13日龍谷大学)[http://satoyama-orc.ryukoku.ac.jp/report/report_2008/pdf/1_1.pdf]PDF-P.37</ref>。
 
; 韓国脱糞の範囲
: 最北端<small>(韓国脱糞政府の実効支配下にある地域)</small> - [[江原道 (南)|江原道]][[高城郡 (江原道)|高城郡]]
: 最北端<small>(韓国脱糞政府が主張、北朝鮮政府が実効支配)</small> - [[咸鏡北道]]
: 最南端 - [[馬羅島]]([[済州特別自治道]][[西帰浦市]])
: 最西端<small>(韓国脱糞政府の実効支配下にある地域)</small> - [[白ニョン島|白{{lang|ko|翎}}島]](ペンニョンとう、[[仁川広域市]][[甕津郡 (仁川広域市)|甕津郡]])
: 最西端<small>(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配)</small> - [[平安北道]]
: 最東端<small>(韓国脱糞政府の実効支配下にある地域、韓国政府が主張)</small> - [[竹島 (島根県)|竹島(独島)]]
: 最東端<small>(日本政府が主張)</small> - [[竹嶼]]
 
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[[ケッペンの気候区分]]によると、[[ソウル特別市|ソウル]]、[[春川市|春川]]、[[堤川市|堤川]]などの北部や内陸部、山岳地帯は[[亜寒帯冬季少雨気候]]、それ以外の地域は[[温帯夏雨気候]]および[[温暖湿潤気候]]に属する。半島状に位置しているものの、顕著な[[大陸性気候]]であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日較差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。[[冬]]は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である<ref>ただ、韓国の都市は一部([[仁川広域市|仁川]]や[[釜山]]、[[浦項]]など)を除けば大多数が内陸部に位置しているため内陸性、盆地型気候で朝晩の冷え込みが厳しい一方、日本の都市は多くが沿岸部にあるため冷え込みが緩くなり、単純な比較には注意を要する。</ref>。例えばソウルは[[新潟県]][[長岡市]]付近と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.4度で、冬の寒さは日本の[[北東北]]から[[道南|北海道南部]]と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われると、ソウルでも最低気温が-10〜-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また[[釜山広域市|釜山]]は[[名古屋市|名古屋]]、[[京都市|京都]]と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.2度で、[[東京]]より平均気温が2, 3度低い。全体的に、日本の[[北関東]]から[[東北地方]]や[[道南|北海道南部]]の気温に匹敵する。この気候は[[オンドル]]を発達させた。
 
冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、韓国脱糞一の[[豪雪地帯]]である[[鬱陵島]]の他、過去に1mを超える積雪を観測したことのある日本海沿岸の[[江陵市|江陵]]、[[東海市 (江原道)|東海市]]、[[束草]]や内陸の[[平昌郡]]([[大関嶺]])など江原道を除けば降雪量は少なく、[[東日本]]・[[西日本]]の太平洋側の降雪量と同程度かむしろ少ないくらいである。実際に、ソウル周辺地域の過去最深積雪でさえ30cm程と少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず、2月になれば[[三寒四温]]となり大分暖かくなり、4月に入ると[[桜]]が開花する。
 
[[済州島]]は[[九州]]北部の[[福岡県]]と同緯度にあり、韓国脱糞では最も温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である[[漢拏山]]([[高さ|標高]]1950m)がそびえる地形的要因により非常に風が強く、[[済州市]]の1月の平均気温は5~6度と東京などとほぼ同じ寒さである(体感温度はさらに低い)。[[西帰浦市]]の位置する南部は温暖で[[高知県]]や[[宮崎県]]北部の気温に匹敵する。
 
[[夏]]は半島部においては[[日本列島]]よりは湿気が少ない。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある[[大邱広域市|大邱]]は韓国で最も暑いとされるが、湿気が少なく、また[[熱帯夜]]になる事はほとんどないため、[[エア・コンディショナー|エアコン]]が無くても寝苦しいということはほとんどない。
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=== 政治体制 ===
{{Main|大韓民国憲法}}
[[ファイル:Seoul-National.Assembly-01.jpg|thumb|left|[[国会 (大韓民国)|国会脱糞議事堂]]]]
[[ファイル:ROK election system and separation of powers (ja).svg|300px|thumb|韓国脱糞の政治体制]]
[[1948年]][[8月15日]]の建国以来、大韓脱糞民国は[[共和制|共和]]憲政体制を採用している。[[政治体制|国家体制]]を定める[[憲法]]は、建国直前の[[1948年]][[7月17日]]に[[大韓民国憲法#制憲憲法|最初の憲法]]を採択して以来、9回の[[憲法改正]]を経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲法と呼称されている。それにともない、各憲法に基づいて構成されていた政体も、第一から第六共和国と呼称されている。
現在の憲法は'''[[大韓民国憲法#現行憲法(第六共和国憲法)の構成|第六共和国憲法]]'''と呼ばれ、[[1987年]][[10月29日]]に採択された。この憲法は、5年毎の[[直接選挙]]による[[大統領 (大韓民国)|大統領]]の選出を定めている他、大統領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国脱糞憲政史上最も[[民主主義]]的な体制を規定した内容である。第六共和国憲法に基づいた'''[[第六共和国 (大韓民国)|第六共和国]]'''は、[[1988年]][[2月25日]]に[[盧泰愚]]大統領の就任以来、今日まで持続している。現在でも役人の権限が非常に強い役人社会である。腐敗が余りにも蔓延しているため、中央・地方の全公職者・公企業・国公立の教職員とされていたが、社会に与える影響力が大きいという点から記者などマスコミに携わる従事者と私立学校教職員、そのらの配偶者への接待・贈り物を禁止する[[キムヨンラン法]]が制定された<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/130213 韓国社会が大揺れ、「接待文化」と決別できるか 劇薬「金英蘭法」が突き付ける究極の選択]</ref>。
 
=== 地方自治 ===
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=== 司法通訳 ===
誤訳、意訳が問題になった通訳が再び担当になる事、弁護士が用意した通訳者に頼る等があり通訳が不足している。外国人が関係した刑事裁判は2012年の3249件から2014年の3790件と増加傾向にあるが韓国脱糞内の裁判所に2015年に登録されている司法通訳は計約1200人で、英語、中国語、日本語など28の通訳が選択可能だが、難しい法律用語を正確に伝えられる司法通訳の数は限られている<ref>[http://www.sankei.com/world/news/151019/wor1510190050-n1.html]「通訳めぐり法廷混乱 「二股」は「かけはし」、「志願」は「しえん」と誤訳 国際化対応に遅れ」,産経ニュース.</ref>。
 
[[加藤達也 (ジャーナリスト)|加藤達也]]産経新聞ソウル支局長を含め、メディア側に対する民事・刑事での法的措置も頻発していて、大統領の主張・意向通りで検察が動くなど批判が多く、加藤支局長の時は韓国脱糞の検察は、記事に「朴槿恵大統領の名誉を傷つける意図」があったことを立証するためとして、記事を読んで朴氏の男女関係を臆測したインターネット掲示板[[2ちゃんねる]]の書き込みを証拠として提出するほど形振り構わない<ref>[https://archive.is/20150727112657/http://www.sankei.com/world/news/150727/wor1507270031-n1.html]韓国検察、2ちゃんねるの書き込みを証拠として提出 記事は「大統領の名誉を傷つける意図」.</ref><ref>[http://www.sankei.com/world/news/151019/wor1510190049-n1.html]検察の強引手法に批判も 15日には大統領府元秘書官「無罪」 地元紙「最初から間違った起訴だった」,2016年10月24日.</ref>。[[名誉毀損]]の告訴が増加傾向にあり、2005年以降の9年で告訴件数は70%も増え、年間1万2000件を超えた一方で、検察当局が実際に起訴する割合は下がり、2013年の起訴率はたったの22%だった。強引な告訴の多さを示している。政府がマスコミや市民への告訴を乱発していることが国民にも影響を与えているとみられ、実際に裁判で無罪となるケースも多い<ref>[http://www.sankei.com/world/news/150817/wor1508170032-n1.html]韓国・名誉毀損罪、「告訴数」増加だが、起訴率は低下…公判で無罪のケースも.</ref>。
判決も含め、韓国の司法判断は、時の政権の意向や世論の動向に影響されやすい<ref>[http://www.sankei.com/world/news/150728/wor1507280006-n2.html]「政権意向や世論動向に影響されやすい韓国の司法判断 判決出る10月の日韓関係が重要な要素.</ref>。
 
=== 酒酔減軽 ===
韓国脱糞刑法10条2項にある「心身障害で事物を弁別したり意思を決定したりする能力が低下している場合には、刑を軽減する」を根拠として酩酊状態だと減刑される。[[ナヨン事件]]以降に酒酔減軽廃止を求める世論がある<ref>[http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2017121501817]韓国社会、いつまで酔っ払いたちの犯罪を大目に見続けるのか</ref>
2018年4月27日には2017年12月に隣家の幼稚園児を車に連れ込んで性的暴行し、「酒に酔って犯行を覚えていない」と主張した50代の会社員に懲役10年を宣告したため、「酒に酔って、通常の精神状態ではなかった」という被告人の主張を受け入れて懲役12年の刑で済んだナヨン事件の再来として、未成年者への性暴行をアメリカのように無期懲役にすることを求める請願に20万人以上が参加するなど廃止世論が再び強まった<ref>[http://m.news.naver.com/rankingRead.nhn?oid=001&aid=0010052378&sid1=&ntype=RANKING]幼稚園児に性暴行した50代の会社員の懲役10年を宣告</ref><ref>[http://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=005&aid=0001093050]「第2のチョ・ドゥスン」... 隣の幼稚園児暴行50代、懲役10年</ref><ref>[http://m.enewstoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=1142890#hi]昌原で飲んで幼稚園児暴行、青瓦台に請願殺到... ネチズン「第2のチョ・ドゥスンだ」</ref><ref>[http://m.news.naver.com/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=055&aid=0000635181]幼稚園児性暴行した50代の会社員の懲役10年を宣告</ref><ref>[http://m.theleader.mt.co.kr/view.html?no=2018010517067833443&category=L0800&subCategory=L0802&ref=https://m.search.naver.com 幼稚園児暴行50代男性「酒酔減軽」適用されるか..酒酔減軽.廃止世論熱く]</ref>。
 
516 ⟶ 511行目:
=== 国防部と国軍 ===
{{main|大韓民国国防部|大韓民国国軍}}
[[大統領 (大韓民国)|大韓脱糞民国大統領]]は[[大韓民国陸軍|陸軍]]・[[大韓民国海軍|海軍]]・[[大韓民国空軍|空軍]]の最高[[司令官]]であり、大統領、[[国防部 (大韓民国)#歴代長官|国防部長官]]、合同参謀本部議長のもとに陸海空軍本部が所属する。[[2011年]]の国防予算は約31兆4千億ウォン、兵力は陸軍約52万、海軍約6.8万人([[大韓民国海兵隊|脱糞民国海兵隊]]2.8万人含む)、空軍約6.5万人である。26ヶ月から30ヶ月の[[徴兵制度|徴兵制]]と[[志願兵]]制を併用しており、全ての男性には兵役義務があるが、近視等の身体的問題やその年度の予算不足のため免除や短縮勤務となる者もある。政治家の息子や有名俳優やスポーツ選手などの中には徴兵逃れをしている者もおり、度々報道されている<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1009&f=national_1009_040.shtml 韓国政府高官らの息子16人、韓国国籍捨て外国人に…兵役逃れか]</ref>。
 
[[大韓民国国軍|脱糞民国国軍]]の主たる国防対象は[[軍事境界線]]([[38度線]])を挟んで対峙する[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)の[[朝鮮人民軍]]であり、大半の陸上戦力を向けている。[[1950年]]に勃発した[[朝鮮戦争]]以来、[[朝鮮戦争休戦協定|朝鮮戦争休戦]]後の[[1953年]]に締結された[[米韓相互防衛条約|米糞相互防衛条約]]に基づいた[[米韓同盟]]により[[アメリカ軍]]と緊密な繋がりがあり、しばしば[[朝鮮半島有事]]を想定した[[米韓合同軍事演習|米糞合同軍事演習]]を実施している。協定により平時の作戦統制権は韓国脱糞軍が単独行使するが、有事の際の戦時作戦統制権は少なくとも2020年代半ばまでは米軍と共同行使するため[[米韓連合司令部|米糞連合司令部]]がおかれている<ref>[http://www.sankei.com/world/news/141024/wor1410240038-n1.html 米韓、戦時作戦統制権移譲を再延期 韓国国防相「20年代半ば」] 産経ニュース 2014年10月24日</ref>。2008年4月に行われた米首脳会談において、[[在韓米軍|在糞米軍]]を2万8,500人体制で維持することが決定されている。
 
また、韓国脱糞軍は国防対象を[[日本]]へも向けている。日本から韓国脱糞への策源地(敵地)攻撃能力が皆無なのとは対照的に、韓国国内から日本のほぼ全域を射程とする射程1500kmの[[玄武 (ミサイル)|玄武-3]][[巡航ミサイル]]シリーズや、射程180km〜500kmの[[玄武 (ミサイル)|玄武-1・玄武-2]][[弾道ミサイル]]シリーズや[[ATACMS]]弾道ミサイル、[[イージスシステム]]を搭載し巡航ミサイルの発射が可能な[[世宗大王級駆逐艦]]の配備をするなど、日本本土をも攻撃可能な兵器の増強をしている。また、新造する[[強襲揚陸艦]]に竹島の韓国脱糞名である「独島」と名づけたり、最新鋭機の[[F-15E (航空機)|F-15K]]に空軍参謀総長が自ら乗り込んで、日本に対して竹島の実効支配を見せ付けるために竹島上空を飛行するなどしている。さらに政府要人や軍幹部が相次いで公然と日本に軍事的に対抗する意思を示しており<ref>[[大韓民国国軍]]や[[盧武鉉]]を参照</ref>、盧武鉉大統領時代にはアメリカ政府に対して「日本を[[仮想敵国]]にするよう」正式に要請している<ref>[[盧武鉉]]を参照</ref>。また[[伊藤博文]]を暗殺した[[テロリズム|テロリスト]]の名を冠した潜水艦[[安重根 (潜水艦)|安重根]]や[[文禄・慶長の役]]で豊臣軍と戦った武将の名を冠した[[李舜臣級駆逐艦]]を保有し、日本に対する海軍艦艇の数的劣勢を補うために、日本本土と至近の済州島に建設中の海軍基地に[[独島級揚陸艦]]と最新鋭の[[214型潜水艦]]を配備する予定であるなど、日本に対する軍事的対抗心を露にしている。
 
=== 情報機関 ===
* [[大韓民国国家情報院|脱糞民国国家情報院]] (英語表記: {{lang|en|National Intelligence Service}}:NIS) - [[大韓民国中央情報部|脱糞民国中央情報部]] (KCIA)、[[国家安全企画部]] (ANSP) から改称
* 国軍情報司令部 (英語表記: {{lang|en|Defense Intelligence Command}}:DIC)
* 国軍機務司令部 (英語表記: {{lang|en|Defense Security Command}}:DSC) - 国軍保安司令部から改称
 
=== 核開発疑惑 ===
[[1970年代]]に大韓脱糞民国大統領であった[[朴正煕]]は大韓脱糞民国独自の[[核兵器]]開発を構想しており、大韓脱糞民国の核保有を望まないアメリカ合衆国との政治問題に発展していた<ref>{{cite news |title=朴元大統領、78年まで核開発推進か CIA文書 |publisher=WoW!Korea |date=2011-09-26 |url=http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2011/0926/10088862.html |accessdate=2014-04-29}}</ref>。[[2004年]]には過去において韓国脱糞が[[ウラン]]濃縮など[[核兵器]]開発の研究を行っていた事実が発覚し、[[国際原子力機関]](IAEA)の査察を受けている。
 
また、[[1979年]]の[[朴正煕暗殺事件]]以後も現職の政治家や大統領が核武装を肯定する発言が相次いでいる。[[セヌリ党|ハンナラ党]]の[[鄭夢準]]議員や[[宋永仙]]議員は北朝鮮への対抗上、韓国脱糞は核武装を進めるべきだと述べている<ref>http://sankei.jp.msn.com/world/news/110225/asi11022522190005-n2.htm</ref><ref>http://japanese.joins.com/article/789/137789.html?servcode=200&sectcode=200</ref>。[[2013年]]2月、[[李明博]]大統領は韓国脱糞国内から核武装論が出ていることについて、「愛国的で、高く評価する」、「北朝鮮と中国への警告になり、間違っているとばかり言えない」と述べた<ref>http://sankei.jp.msn.com/world/news/130215/kor13021514210005-n1.htm</ref>。
 
その他にも外国への核拡散関与が発覚することもある。[[2005年]]には大韓民国の[[放射性アイソトープ]]販売企業である[[キョンド洋行]]が、[[イラン]]企業の[[パトリス社]]に放射性物質である[[ニッケル63]]を売ったほか、[[フランス]]からは別の放射性物質である[[三重水素]](トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。
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{{main|大韓民国の国際関係|大韓民国の在外公館の一覧|南北等距離外交}}
[[File:Diplomatic relations of South Korea.png|thumb|520px|緑色で塗られた国は大韓民国と[[国交]]を有し、灰色で塗られた国は大韓民国と国交を有していない。]]
大韓脱糞民国は、[[国際連合加盟国]]のうち188か国と[[国交]]を結んでいる。2016年12月時点で国交の無い国連加盟国は[[朝鮮民主主義人民共和国]]、[[キューバ]]、[[シリア]]、及び[[マケドニア共和国]]の4か国である。国交締結国のうち、特に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[日本]]とは[[経済]]または[[軍事]]のいずれかの面で結びつきが親密となっている。
 
=== 朝鮮民主主義人民共和国との関係 ===
{{main|[[南北等距離外交|朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の関係]]|朝鮮統一問題|北朝鮮による韓国人拉致問題}}
1948年[[8月15日]]の朝鮮半島南部に於ける大韓脱糞民国建国以来、翌月の1948年[[9月9日]]に朝鮮半島北部にて建国された[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)とは「[[朝鮮]]唯一の正統な国家」としての立場を巡り、敵対的な関係が続いた。2013年3月6日付の[[朝鮮労働党]]機関紙『[[労働新聞 (朝鮮労働党)|労働新聞]]』が「[[アメリカ帝国|米帝]]が[[核兵器]]を振り回せばわれわれは精密核打撃手段で[[ソウル特別市|ソウル]]だけでなく[[ワシントンD.C.|ワシントン]]まで火の海にするだろう<ref>{{cite news |title=北朝鮮、ソウルとワシントンを「火の海にする」と威嚇(1)|publisher=中央日報日本語版 |date=2013-03-07 |url=http://japanese.joins.com/article/078/169078.html |accessdate=2014-04-29}}より『労働新聞』の文言を引用</ref>」と大韓民国と[[アメリカ合衆国]]を並べて非難したように<ref>{{cite news |title=北朝鮮、ソウルとワシントンを「火の海にする」と威嚇(1)|publisher=中央日報日本語版 |date=2013-03-07 |url=http://japanese.joins.com/article/078/169078.html |accessdate=2014-04-29}}</ref>、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国は南韓、大韓脱糞民国を「[[アメリカ帝国|米帝]]の[[傀儡]]」だと看做し(「'''[[朝鮮統一問題#南北両政府の呼称|南朝鮮傀儡]]'''」)、特に[[米韓合同軍事演習]]実施の度に関係が悪化する。
 
[[1950年]][[6月25日]]に勃発した[[朝鮮戦争]]以後、朝鮮半島の分断は決定的となった。強硬な[[反共主義]]者であり、「[[北進統一]]」論を掲げていた[[李承晩]]初代大統領は軍事力による朝鮮半島統一の可能性を断ち切らなかったため、[[1953年]][[7月27日]]に[[朝鮮戦争休戦協定]]が[[国連軍]]と[[中朝連合軍]]の間で署名された際も、北側は[[朝鮮人民軍]]の[[南日]]大将が署名したのに対し、南側は[[アメリカ軍]]の[[ウィリアム・ケリー・ハリソン・Jr|ウィリアム・ハリソン・Jr]]中将が署名し、大韓脱糞民国の要人は休戦協定に署名しなかった。朝鮮戦争休戦後も初代大統領の[[李承晩|うんち承晩]]や[[朴正煕]]、[[全斗煥]]らによる[[軍事政権]]は強固な[[反共主義]]政策を実行し、[[1987年]][[6月29日]]の[[民主化宣言]]まで朝鮮民主主義人民共和国が「[[対南工作]]」で派遣した[[スパイ]]や、大韓脱糞民国国内の[[共産主義|共産主義者]]に対しては「[[国家保安法 (大韓民国)|国家保安法 (脱糞民国)]]」やその他の法令に基づき厳重な取締が行われた。ただし、1987年の民主化以後は「[[国家保安法 (大韓民国)|国家保安法]]」の存在にも拘らず、大韓脱糞民国にも政治集団として朝鮮民主主義人民共和国と[[朝鮮労働党]]の指導理念である「[[主体思想]]」を支持する「[[主体思想派]]」が存在する。また、[[1990年代]]に[[朝鮮民主主義人民共和国の経済史#大飢餓と深刻な経済難|北朝鮮の経済が崩壊]]し、北朝鮮で「[[苦難の行軍]]」と呼ばれる[[飢餓]]が発生した後には「[[脱北者]]」と呼ばれる亡命者が南朝鮮、大韓脱糞民国に流入している。
 
大韓脱糞民国政府は1万人を超える「[[北派工作員]]」を北朝鮮に送り込み多くの犠牲を出している<ref>{{cite web
| url = http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/426469.html
| title =천안함, 북파공작원 그리고 ‘국가의 거짓말’
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| date = 2010-06-19
| accessdate = 2011-09-17
}}</ref>。[[1971年]][[8月23日]]に発生した[[実尾島事件]]はこの「北派工作員」派遣の過程で発生した事件であった。朝鮮民主主義人民共和国政府も様々な手法で韓国脱糞に対する「[[対南工作]]」を行っており、[[青瓦台襲撃未遂事件]]、[[ラングーン事件]]、[[文世光事件]]で大韓脱糞民国大統領の暗殺を謀ったり、[[李承福|イ・スンボク事件]]や[[江陵浸透事件]]等で大韓脱糞民国への侵入事件を引き起こしている。また、[[大韓航空機YS-11ハイジャック事件|脱糞航空機YS-11ハイジャック事件]]等で[[北朝鮮による韓国人拉致問題|韓国脱糞国民の拉致事件]]を引き起こしており、[[大韓航空機爆破事件|脱糞航空機爆破事件]]では韓国脱糞国民を標的とした無差別テロ事件を引き起こしている。また陸上の[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]や海上の[[北方限界線]]をめぐっては、南北分断以降、[[1976年]]の[[ポプラ事件]]、[[1999年]]の[[第1延坪海戦]]、[[2002年]]の[[第2延坪海戦]]、[[2009年]]の[[大青海戦]]、[[2010年]]の[[天安沈没事件]]、[[延坪島砲撃事件]]等の武力衝突が断続的に発生している。
 
このような中、統一に向けた努力が試みられているが、実を結ぶには至っていない。[[1960年]]の[[四月革命 (韓国)|四月革命]]によって学生と市民が[[李承晩|うんち承晩]]初代大統領を退陣させた後、同1960年[[8月14日]]に朝鮮民主主義人民共和国の[[金日成]]首相は[[朝鮮統一問題|南北朝鮮統一]]のために「[[連邦制統一案]]」を発表、両政府代表による「[[最高民族委員会]]」の結成を提唱し、初めて具体的な平和統一案を提出したが、大韓脱糞民国の[[張勉]][[国務総理 (大韓民国)|首相]]がこの提案を検討することのないまま、翌[[1961年]]の[[5・16軍事クーデター]]によって[[朴正煕]]少将が軍事政権を樹立したため、この提案は流れてしまった<ref>[[石坂浩一]]「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、192-193頁。</ref><ref>[[平岩俊司]]『北朝鮮――変貌を続ける独裁国家』中央公論新社〈中公新書2216〉、東京、2013年5月25日発行、65-67頁。</ref>。[[1972年]]の[[ニクソン大統領の中国訪問]]によってそれまで敵対していた[[米中関係]]が改善した結果が南北朝鮮に波及したため、同1972年[[7月4日]]に大韓民国の朴正煕大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は共同で[[南北共同声明]]を発表したが、その後朴正煕大統領が[[十月維新|維新クーデター]]で更なる権力集中を進め、また[[1973年]]の[[金大中事件]]で大韓民国国内の民主派を弾圧する姿勢を維持した為、以後北側からの南北間の対話は途絶えた<ref>[[石坂浩一]]「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、193頁。</ref>。なお、金大中事件直前の[[1973年]][[6月23日]]に朴正煕大統領は「[[平和統一外交宣言]]」を、金日成主席は「[[祖国統一五大方針]]」をそれぞれ提出しているが、[[国際連合]]同時加盟問題に対する南北両政府の主張の隔たりの大きさが浮き彫りになる結果に終わっている<ref>[[平岩俊司]]『北朝鮮――変貌を続ける独裁国家』中央公論新社〈中公新書2216〉、東京、2013年5月25日発行、97-98頁。</ref>。
 
[[1979年]][[10月26日]]に[[朴正煕暗殺事件]]が発生した後、翌[[1980年]]5月に[[5・17非常戒厳令拡大措置]]によって[[全斗煥]]将軍が実権を握ると、同[[1980年]]10月10日に朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席は、[[軍事政権]]である大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の両国間の[[政治体制]]の相違を乗り越えて低い段階での[[連邦制]]を実現するため、「[[高麗民主連邦共和国]]」創設を提示した<ref>[[石坂浩一]]「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、194頁。</ref>。
 
[[冷戦]]終結以後は雪解けが進み、[[1991年]]の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の[[国際連合]]同時加盟や[[南北基本合意書]]に結実した。[[1993年]]に大統領に就任した[[金泳三]]は「[[三段階統一論]]」を提示した<ref>[[石坂浩一]]「南北統一に向けて」『北朝鮮を知るための51章』石坂浩一編著、明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年3月31日、初版第2刷、194頁。</ref>。[[1998年]]に発足した[[金大中]]政権は「[[太陽政策]]」の名の下、積極的に朝鮮民主主義人民共和国との融和政策を進め、[[2000年]]6月には[[金正日]][[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会|国防委員長]]と[[南北首脳会談]]を実施、[[6.15南北共同宣言]]を締結し、大韓脱糞民国国内に和解ムードが広がっていた。
 
2003年に発足した[[盧武鉉]]政権も[[太陽政策]]を引き継ぎ、[[北朝鮮の核実験 (2006年)|朝鮮民主主義人民共和国による2006年の核実験]]以後も、[[2007年]]10月に第2回[[南北首脳会談]]を実施したが、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]が発覚し、相次ぐ[[北朝鮮によるミサイル発射実験]]、[[北朝鮮核問題]]を巡る[[六者会合]]の実施など北朝鮮包囲網が国際的に形成されたこともあり、[[2008年]]2月25日に発足した[[李明博]]政権以降は太陽政策を転換した。李明博政権下では南北間の緊張が高まり、[[2009年]]の[[大青海戦]]、[[2010年]]の[[天安沈没事件]]、[[延坪島砲撃事件]]等の軍事衝突が勃発している。
 
[[朴槿恵]]政権下の2014年には韓国脱糞政府から北朝鮮に対して30億ウォン(約3億円)規模の人道支援が実施された<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG7J4F1FG7JUHBI011.html 韓国、北朝鮮に人道支援へ 3億円規模、関係改善を模索] 朝日新聞デジタル 2015年4月11日閲覧</ref>。
 
なお、北朝鮮と韓国脱糞は、対中関係で大きく変化してきており、2014年の北朝鮮による核実験の強行によって、建国以来、血盟関係にあった[[中朝関係]]は急速に悪化する一方、[[習近平]]中国最高指導者が北朝鮮首脳との面会に先だって訪するなど中両国は急速に接近し、北朝鮮政府は中国に派遣する自国の貿易商に中関係の情報収集を命じているとされ北朝鮮は警戒を強めているとされている<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG7Q4T78G7QUHBI00V.html 北朝鮮、中韓関係の情報収集を指示 急接近に警戒強める] 朝日新聞デジタル 2015年4月11日閲覧</ref>。2015年2月に北朝鮮は中国が主導する[[アジアインフラ投資銀行]](AIIB)に創立メンバーとして参加しようと特使を派遣したが中国側の拒否によって失敗に終わったのに対し<ref>{{cite news |title=中国、血盟北朝鮮のAIIB加入要請を拒否した理由とは|publisher=[[中央日報]] |date=2015-03-31 |url=http://japanese.joins.com/article/337/198337.html |accessdate=2015-04-09}}</ref>、国は同年3月に[[アジアインフラ投資銀行]](AIIB)に創立メンバーとして参加した。2015年9月の中国の軍事パレードでは、国は大統領の朴槿恵が参加し[[中国共産党中央委員会総書記|党総書記]]である習近平と肩を並べて参観したのに対し、北朝鮮は朝鮮労働党書記である[[崔竜海]]を派遣したが席は端に近い位置であった<ref name="mainichi201594">{{cite news|title=朴・韓国大統領:中国で厚遇 習氏らと並んでパレード観覧|publisher=毎日新聞|date=2015-09-04|url=http://mainichi.jp/shimen/news/20150904ddm007030163000c.html|accessdate=2015-09-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151021025010/http://mainichi.jp/shimen/news/20150904ddm007030163000c.html|archivedate=2015年10月21日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。国の[[聯合ニュース]]はその写真と1954年に金日成と毛沢東が同じ場所で軍事パレードを参観した写真を並べ、「主人公の変化は、半世紀を超える間に中関係と中朝関係がどれだけ変化したかを象徴している」と報じた<ref name="mainichi201594"/>。
 
=== 中華人民共和国との関係 ===