「尺八」の版間の差分

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普化宗は政府により[[1871年]]に解体され、虚無僧は尺八の師匠などに転じた。普化宗廃止後の尺八界の混乱期に活躍した人物に2代 [[荒木古童]](竹翁、1823-1908)がいる<ref name=arakikodo>[https://kotobank.jp/word/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E5%8F%A4%E7%AB%A5-427847 荒木古童(読み)アラキコドウ]コトバンク</ref>。荒木は虚無僧修行中に[[琴古流]][[豊田古童]]に師事し、普化宗廃止後も尺八の普及に尽力し、琴古流中興の祖となった<ref name=arakikodo/>。尺八の指孔位置や歌口を改良したことでも知られ、東京を中心に全国に普及させた<ref name=arakikodo/>。その門下である初代[[川瀬順輔]](1870-1959)は近代尺八の祖のひとりと言われ<ref name=saito>『1933年を聴く:戦前日本の音風景』齋藤桂 エヌティティ出版 (2017)、第1章「尺八奏者・野村景久による殺人 音楽の合理化と精神論」p16-45</ref>、2代荒木古童や[[東京音楽学校]]教授の[[上原六四郎]]に師事し、1902年に東京で道場を開いた<ref>[http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kawase_ju.html 川瀬順輔(初代)]歴史が眠る多磨霊園</ref>。
 
関西では、、三味線との合奏である三曲合奏(外曲とも称す)の先駆と言われる[[近藤宗悦]](1821-1867)の宗悦流(現存せず)の中から初世[[中尾都山]]が1896年に大阪で[[都山流]]を創始した<ref name=arakikodo/>。中尾は独自の工夫新作により自流の曲目を増やし、記譜法、教授法、合奏形式などにも新機軸を打ち出し、近代的な[[家元]]制度を整えて短年月のうちに西日本で門弟を増やし、琴古流に並ぶ尺八界の二大流派のひとつに育てた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%B0%BE%E9%83%BD%E5%B1%B1-587616 中尾都山(読み)ナカオトザン]コトバンク</ref>。
 
1920年代には、箏曲家の[[宮城道雄]]と尺八家の[[吉田晴風]](1891-1950)によって、洋楽の要素を取り入れた新しい邦楽を目指す[[新日本音楽運動]]が興り、音楽研究家の[[田辺尚雄]],[[町田佳聲]]らも同調し、尺八では中尾都山、[[福田蘭童]]、[[野村景久]]らが参加して邦楽の近代化に寄与した<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%9F%B3%E6%A5%BD-82387 新日本音楽(読み)しんにほんおんがく]コトバンク</ref><ref name=saito/>。野村は新進気鋭の尺八奏者・作曲家として[[古賀正男]]はじめさまざまな音楽家との共演やラジオ出演、執筆などで注目されたが、1933年に一家四人を殺して金を奪う事件を起こして死刑となり、虚無僧の怪しさから来る悪いイメージを払拭し近代化を進めてきた尺八界を揺るがせ、かつて「法器」であった尺八の精神性を見直す気運を生んだ<ref name=saito/>。
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