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'''国民革命軍'''(こくみんかくめいぐん、{{ピン音|Guómín Gémìng Jūn}})は、1925年から1947年までにかけて存在した[[中国国民党]]の党軍隊である。当初その設立には[[ソビエト連邦]]からの援助を受けと指導が大きく関わっ組織され、いた。翌1926年から開始された[[北伐 (中国国民党)|北伐]]の中で各地の[[軍閥]]を服従させつつ[[北京政府]]を倒し、1928年に[[中華民国]]を成立させた後は[[国軍]]となった。
 
その後に発生した[[戦争]](日中戦争)では侵攻する[[日本軍]]と戦いを相手にして頑強に抵抗を続け、日本側は'''国民党軍'''または重慶軍と呼んでいた。日中この戦争期間中は[[国共合作]]の下でに基づき[[八路軍|中国共産党軍]]も指揮下に組み込んでいた。日本側はもっぱら'''国民党軍'''と呼び、[[国民党政府]]が[[南京市|南京]]から遷都した後は重慶軍とも呼んでいた。終戦後の1945年から始まった[[国共内戦]]で[[中国人民解放軍|中国共産党軍]]の前に敗北し、れて台湾に逃れた。[[中国国民党]]が1947年に[[台湾政府]]を立した後は[[中華民国国軍]]と名称を変えた。
 
== 歴史 ==
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師団は軍政上の基本単位でもあり、各師団は'''教導團'''と称される新兵教育部署を備えていたので、それぞれが独自に兵士の募集または強制徴募を行なって人数を補っていた。前線へ向かう際はほとんどの場合、作戦上の基本単位である'''軍'''の下に編入されて行動した。軍は2個師団を動かし、それを支援する砲兵連隊('''砲兵團''')と工兵連隊('''特務團''')を追加されて実戦部隊としての戦力を完成させた。
 
兵員の確保は強制徴と志願制は、[[戸籍]]が整備さ行なわれていなかったおり、市内溜まり場恣意的健康そう[[徴兵制|徴兵]]が行われ、兵隊に適した男性若者を見つけると強制的に軍に入隊させるような兵隊狩りが横行していた。兵士には給与また、町区食糧もろく村落支給命じて一定数の男子を供出せていた。「良い鉄は釘にならず、良い人は隊にならない」の言葉通り、後者の志願制では食い詰め者やならず者ばかり武器を使集まる事が多かて一般市民を脅したが金品を徴発す国民党直轄下の南京では忠義心や愛国心に燃え若者が多く得られて精鋭部隊編制可能となった。兵士権利給与の支払い考え食糧の支給は滞る事が多く、住民かの徴発と略奪行為が横行していた。暴虐行為も頻繁に起き、殺人も珍しくなかったと言われる。部隊編入時に支給された小銃を売却してしまう者もおり、次の日に集まった兵士の半数が手ぶらになってという事例兵士も時折見られたという。兵士による一般市民へこうした規律暴虐行為も頻繁に起き、殺人も珍しくな低さった、兵士たちの戦意も低く、殆どの何時でも逃げ出せるよう逃亡着替え用準備に[[私服(便衣]]を隠し持っていた。戦闘では兵士彼ら監視する為に頻繁に信用していない指揮官たちは[[督戦隊]]を頻繁に組織して後方から監視逃亡す持ち場を離れ兵士躊躇なく射殺していた。同様他に目的で兵士の逃亡防ぐ為に、兵士がた[[トーチカ]]に外から鍵を懸けたり、[[塹壕]]に鎖で配置した兵士を鎖で繋ぎ止めることなどが実なわれた。そのため、西洋の軍事批評家の多くは国民革命軍が全体として20世紀の軍隊というより19世紀を思い出させるものであるとの印象を持った<ref>p.5 http://www.history.army.mil/brochures/72-38/72-38.htm</ref>。
 
=== 主力部隊 ===