「ベルリン4か国協定」の版間の差分

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このような改善に至るために、ベルリンの[[政治的スペクトル]]は双方の異なる政治背景を摩擦なく存続させるために意図的に漠然なものとされた。そもそも「ベルリン」という単語は文書にあらわれず、ベルリンの街は「該当領域」としてしか認識されなかった。
 
4か国同意は「[[英語]]<ref group="注" name=en />、[[フランス語]]<ref group="注" name="fr" />及び[[ロシア語]]<ref group="注" name="ru" />をひとしく[[正文]]として作成」したものであり、[[ドイツ語]]は正文として扱われていない。ドイツ双方の2つのドイツ語訳は政治的立場から、多少異なるものとなっていた。<ref group="注" name="BerlinII" />
 
合意が効力を持つと、ソ連は合意を[[西ドイツ]]が[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]との連携を緩いものにする意図に利用した。しかし、合意は東西ドイツの緊張緩和および両国間の接触を増加させることに大いに貢献した。そのようなものとして挙げられるのは、[[1990年]]の[[ドイツ再統一]]という結果へ至るためのプロセスに重要な貢献をしたことなどである。