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他方、他人に読ませることを目的とする場合は、そもそも読めないのでは目的を達せないから、普通は読めるような字を書く努力をするものである。しかし、読んでさえくれればよい、しかも、読ませる方の力が強い場合はその限りではない。たとえば有力な作家の場合、編集者が読めればよいのであって、悪筆でもよい作品が描ければいいのだから、悪筆の例もある。[[石原慎太郎]]、[[黒岩重吾]]、[[田中小実昌]]、[[川上宗薫]]は“悪筆四天王”と評されているという。石原の場合、まともに読みこなせる人は数少なく、そのために印刷所の[[植字]]工に原稿を専門に読む「慎太郎係」というのが存在したという話がある<ref>筒井(1975),p.135</ref>。
 
[[カール・マルクス]]は鉄道の[[出札]]係に応募した際には悪筆を理由に断られる程の悪筆で、マルクスの死後に残された[[資本論]]の未整理草稿の編集作業は読み方を知っていた[[フリードリヒ・エンゲルス]]だけが可能だった。エンゲルスは後に[[エドゥアルト・ベルンシュタイン]]と[[カール・カウツキー]]にも読み方を伝授した。
 
欧文の場合、いわゆる[[筆記体]]による弊害が大きく、このため[[タイプライター]]が早い時期から普及した。1970年代以降は読みやすい[[ブロック体]]による筆記の習慣が定着しており、悪筆の問題は少なくなっている。
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[[野球]]においては[[野球場]]で[[本塁]]と[[マウンド|投手板]]相互の距離は60フィート6インチ(60'6" 18.44m)と規定されているが、一説では最初期に球場の設計を発注した際、60フィート0インチ(60'0"、18.28m)と書かれた寸法値が悪筆であったため、末尾の「0」を「6」と読み違えられそのまま定着したといわれる。
<!-- [[沖縄県]][[沖縄市]]の旧名である[[コザ]]は、一説によれば本来はゴヤであったらしい。漢字では胡屋と表記し、これを安易に音読みしてローマ字表記すると Koya となるが、ここで y と z の混乱が生じた(筆記体では間違いやすい)ことからコザという名が生まれたらしい。 -->
 
== 文字以外の例 ==
文字でなくても悪筆はあり得る。たとえば[[楽譜]]について、[[岩城宏之]]は[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の自筆の楽譜が汚いことを述べている。彼はいわゆる[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]のある箇所の標記について疑問を持ち、自筆の楽譜の写真版に当たった結果、おそらく[[フェルマータ]]が[[ディミヌエンド]]に読み間違えられたものと判断した<ref>岩城(1983)、p.25</ref>。同様に[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]の場合、[[アクセント]]とディミヌエンドが混同されやすいという。手書き原稿の汚い作曲家としてはベートーヴェンと[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]が両巨頭であるという。