「アレクサンダー・グラハム・ベル」の版間の差分

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1876年[[3月10日]]、特許公告の3日後、電話の実験に成功。グレイの設計と似たような液体送信機を使っていた。音を受けた膜が振動し、その振動で水中の針を振動させ、回路内の[[電気抵抗]]を変化させる仕組みである。最初の言葉は「'''ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ'''」 ("Mr. Watson! Come here; I want to see you!") である<ref>[http://www.loc.gov/exhibits/treasures/trr002.html "Bell's Lab notebook I, pp. 40–41 (image 22)."] ''loc.gov.'' Retrieved: July 28, 2010.</ref>。ワトソンは隣の部屋の受信機でそれらの言葉をはっきりと聞いた<ref>{{Harvnb|MacLeod|1999|p=12}}</ref>。
 
ベルはグレイの電話の設計を盗んだとして訴えられた([[陰謀論|そして今もそう考えている人々がいる]])が<ref>{{Harvnb|Shulman|2008|p=211}}</ref>、ベルがグレイの液体送信機の設計を使ったのは特許取得後で、しかも[[概念実証]]としての科学的実験でだけであり<ref>{{Harvnb|Evenson|2000|p=99}}</ref>、「明瞭な声」を電気的に伝送可能であることを示すためだった<ref>{{Harvnb|Evenson|2000|p=98}}</ref>。それ以降ベルは電磁式の電話の改良に集中し、グレイの液体送信機をデモンストレーションや商用に使ったことはない<ref>{{Harvnb|Evenson|2000|p=100}}</ref>。
 
ベルの特許が発効する以前、審査官は電気抵抗を変化させるという電話の仕組みについて優先順位問題を提起した。審査官はベルに、請求範囲にあるのと同様の仕組みがグレイの予告記載にもあることを告げている。ベルは、彼が特許申請書で示している可変抵抗デバイスは水ではなく水銀であると指摘した。ベルは約1年前の1875年2月25日に水銀を使った特許を出願しており、イライシャ・グレイが水を使ったデバイスを申請するずっと前のことだった。しかもグレイは予告記載を撤回し、ベルの発明が先だったということに異議を申し立てなかったので、審査官は1876年3月3日にベルの特許を認可したのだった。グレイも確かに独自に可変抵抗を使った電話を発明したが、最初にそれを文書化したのはベルであり、最初に電話の実験を成功させたのもベルである<ref>{{Harvnb|Evenson|2000|pp=81-82}}</ref>。