「青木昌彦」の版間の差分

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{{要出典範囲|[[1962年]] [[東京大学大学院経済学研究科・経済学部|東京大学経済学部]]を卒業し、学生運動から離脱後、東京大学大学院に進学して近代経済学に転じた。同じブントの仲間であった[[西部邁]]を経済学研究に誘ったのも青木である。[[1964年]]に東京大学大学院経済学研究科修士課程を修了すると渡米しミネソタ大学に留学。[[ジョン・チップマン]]教授の指導を受け、 [[1967年]]に同大博士課程修了([[Ph.D.]])。その後、[[スタンフォード大学]]助教授(1967年)、 [[ハーバード大学]]助教授(1968年)、[[京都大学]]助教授(1969-1977年)、同教授(1977-1984年)を経て、1984年にはスタンフォード大学教授に就任した。[[1990年]]には[[日本学士院賞]]を受賞した。また、2001年度からの約4年間、[[独立行政法人]][[経済産業研究所]]所長を兼任した。2004年にスタンフォード大学教授を退職すると、[[一橋大学]]大学院[[国際企業戦略研究科]]客員教授に就任、2008年には同大学特任教授となった。また、名誉職としては2001年に京都大学名誉教授、2004年にスタンフォード大学タカハシ席名誉教授に就いた。|date=2016年4月}}
<ref>「人生越境ゲーム―私の履歴書: 青木 昌彦」、[http://www.daiwa-grp.jp/press/040531-a.cfm 「一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授に青木昌彦氏ら3名が就任し、大和証券グループ寄附講座「大和証券企業戦略創造」を担当」]大和証券グループ本社5/31/04<!--どの記述がどの文献の何頁を根拠に書かれたのか分かるように脚注を付けてください--></ref>
<ref>{{Cite web|title=RIETI - 青木 昌彦|url=https://www.rieti.go.jp/users/aoki-masahiko/|website=www.rieti.go.jp|accessdate=2019-06-11}}</ref><ref>{{Cite web|title=青木 昌彦 {{!}} GRIPS Research Center|url=http://www.grips.ac.jp/r-center/visiting_scholars/masahiko-aoki/|website=www.grips.ac.jp|accessdate=2019-06-11|language=ja}}</ref><ref>{{Cite book|title=Transboundary Game of Life: Memoir of Masahiko Aoki|url=https://books.google.co.jp/books?id=CiSNDwAAQBAJ&pg=PA60&lpg=PA60&dq=Masahiko%E3%80%80Aoki+Dissertation+minesota+Chipman&source=bl&ots=F0ytL6O61D&sig=ACfU3U1s8DD1tEuthe4f1t0HnXnEp8CfJQ&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjErKqZ-eHiAhVgwIsBHRuAB84Q6AEwC3oECAgQAQ#v=onepage&q=Masahiko%E3%80%80Aoki%20Dissertation%20minesota%20Chipman&f=false|publisher=Springer|date=2018|isbn=9789811327575|language=en|first=Masahiko|last=Aoki}}</ref>晩年の日本での活動拠点は、2008年から自ら主宰を務めた[[東京財団仮想制度研究所]](VCASI)であり、スタンフォード大学経済政策研究所上級研究員、スタンフォード大学フリーマン・スポグリ国際研究所上級研究員、[[東京財団]]特別上席研究員として活動した<ref>[http://www.stanford.edu/~aoki/j/ 青木昌彦 ホーム]</ref>。[[2015年]]7月、肺疾患のため死去<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH7K35ZVH7KKJHL00C.html 米スタンフォード大名誉教授、青木昌彦氏さん死去] 朝日新聞 2015-7-17</ref>。
 
== 社会的活動 ==
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