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→‎海外: ペルーの遺跡例
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『[[太平記]]』巻第二十六「上杉畠山高家を讒(ざん)する事」において、海外の生贄についての記述があり、「異国には[[会盟]]とて、隣国の[[王]]互いに国の堺に出合いて<!-- 原文ママ -->、羊を殺してその血をすすり、天神地祇に誓いて法を定め、約を堅くして、交りを結ぶ事あり」とあり、国境沿いにおける生贄儀式と共に国交を結ぶ習慣が紹介されている。後代の『[[土佐物語]]』巻第六「安芸・岡豊義絶の事」[[永禄]]12年([[1569年]])4月初めにおいても、「古典の法を考うるに、戦国の時、隣国の諸侯、国の境に出でて、牲(いけにえ)を備え、葦毛馬の血をすすり、会盟をなすと言えり。互いに領分の境に出でて誓約をなさんと言わばさもあらんか」と大陸の風習を例に説明をしている。
===ペルー===
1400年代、現在の[[ペルー]]海岸線付近で繁栄していた[[チムー王国]]([[チムー文化]])の遺跡からは、一度に140人以上の子供と大量の[[リャマ]]を生贄に用いた大規模な儀式の跡が発掘されており、国家的規模の[[天災]]が発生していたことが示唆されている<ref>{{Cite web |date=2019-03-07 |url=https://www.cnn.co.jp/fringe/35133834-2.html |title=子ども137人とラマ200頭、心臓抜かれ生贄に ペルー古代文明の遺跡で発掘 |publisher= CNN|accessdate=2019-06-12}}</ref><ref>{{Cite web |date=2018-05-14 |url=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO30155620X00C18A5000000?&ora&page=3 |title=子供140人生贄 550年前のペルーで何があった? |publisher=日経スタイル |accessdate=2019-06-11}}</ref>。
 
== 人身御供と人柱 ==