「勤労者音楽協議会」の版間の差分

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労音が急成長していた1960年代の半ばには、音楽に対する要求を吸い上げるかたちで、企業や宗教団体が支援して、受け皿となる類似の鑑賞組織がつくられた。[[1963年]][[4月1日]]、[[日本経済団体連合会]]や[[日本商工会議所]]など産業界が東京音協(東京音楽文化協会)を設立し、[[1964年]]には各地の音協によって、全国文化団体連盟(全文連)を結成。[[民主音楽協会|民主音楽協会(民音)]]は、[[創価学会]]の[[池田大作]]会長(当時)の呼びかけで[[1963年]][[10月18日]]に創立されている。こうした類似組織の発足も労音の衰退の一因とされる<ref name="sai">[http://rouon.hp.infoseek.co.jp/rekisi.htm 労音の歴史と実績]埼玉音楽鑑賞協議会サイト内</ref>。
 
== 評価概説 ==
東京労音は、もともと[[1955年]][[7月17日]]結成された[[日本労働組合総評議会]]、[[日本教職員組合]]といった[[日本社会党]]の影響力の強い団体が中心の[[国民文化会議]]の構成団体であった<ref>[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1955/1955_28.html 大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編]大原デジタルライブラリー</ref>。