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[[2005年]][[4月15日]]より、[[テレビ朝日]]系[[アニメ]]『[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』にて[[たてかべ和也]]に代わりジャイアンこと[[剛田武]]の声を担当。引き継ぎ当初は現役[[中学生]]であった。たてかべは「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていたため、後任の木村が中学生であることを知ってがっかりし、あと5年は長生きして一緒に飲みたいと語った。そして木村が成人して5年近くの月日が流れた2014年、一緒に飲みに行くことが実現した<ref>[https://www.j-cast.com/tv/2014/08/11212854.html 「ジャイアン」の声優・木村昴とたてかべ和也「涙を流しながら、何度も何度も乾杯した」],J-CASTテレビウォッチ,2014年8月11日</ref>。しかし2人で飲み交わす機会はこれが最初で最後となり、たてかべは2015年6月に死去。その際、木村はツイッターにたてかべを追悼するメッセージを投稿した。
 
同時期に[[肝付兼太]]に代わり[[骨川スネ夫|スネ夫]]役を引き継いだ[[関智一]]のことを師匠と語っており、慕っている<ref>{{Cite web |date=2018-10-05 |url=https://animeanime.jp/article/2018/10/05/40603_2.html |title=“ジャイアンデビュー”から13年…木村昴、声優キャリアを振り返る「最初は記念受験のつもりだった」 |website=アニメ!アニメ! |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2018-12-22}}</ref>。高校卒業して間もない頃、舞台の芝居に興味を持った木村は、関が座長を務める劇団『ヘロヘロQカムパニー』に出たいと関に相談したところ、「それなら劇団を作ったら?」と助言を貰い、2009年に自らが座長を務める『天才劇団バカバッカ』を旗揚げする。また、劇団名の名付け親は関であるが、木村から相談を持ち掛けられた当の関本人は「ノリのつもり」で上記の返事をしたとの事で、即座に木村が劇団を立ち上げるとは思っていなかったようである。
 
たてかべからジャイアン役を引き継いでからはジャイアン役に専念していたが、2011年のアニメ『[[輪るピングドラム]]』に高倉冠葉役で出演し、声優としての転機となる<ref name="アニメ!アニメ!20181008">{{Cite web |date=2018-10-08 |url=https://animeanime.jp/article/2018/10/08/40635.html |title=「ジャイアンから脱しなければいけなかった」声優・木村昴の転機となった作品とは? |website=アニメ!アニメ! |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2018-12-22}}</ref>。劇団に所属するべきではない年齢になっていたころに同作品のオーディションの知らせを受ける<ref name="アニメ!アニメ!20181008" />。オーディションでは監督の[[幾原邦彦]]に個別に呼び出され「ヘタクソ」と評されるも良い声をしていると褒められ、兄役ができるか聞かれたためできると返答し合格となる<ref name="アニメ!アニメ!20181008" />。何を言ってもジャイアンになってしまう状況を脱するため練習を続け、作品が終了してからようやくジャイアン以外を演じられるようになったという<ref name="アニメ!アニメ!20181008" />。