「浜松事件 (抗争事件)」の版間の差分

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== 事件の発端 ==
[[第二次世界大戦|戦]]後、市内の国際マーケットは[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]が押さえていたが、[[闇市]]は[[的屋]]の[[國領屋一家|関東霊岸島桝屋一家分家(服部)]]が押さえていた。県議会議員となった服部治助の跡を継いでいたのが「小野組」小野近義であった。
 
在日朝鮮人らは、[[在日本朝鮮人連盟]]の威光を背景に、地元の[[自治体警察 (旧警察法)|自治体警察]]であった[[浜松市警察]]の介入を許さず、禁制品を公然と売り捌いていた。小野組の方は比較的合法な物品しか売っていなかったため、客足が奪われることになり、小野組は朝鮮人に反感をもっていた。
 
1948年3月には、浜松市警の巡査が賭博の現行犯で朝鮮人を逮捕しようとしたところ、返り討ちにあって負傷する事件が発生。小野組は、その巡査を救出して近くの病院に収容、病院周辺を警護して朝鮮人の来襲を阻止するなど、一触即発の事態を迎えつつあった。