「宮城音五郎」の版間の差分

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|死没地 = [[宮城県]][[仙台市]]
|出身校 = 東京帝国大学(現・[[東京大学]])
|前職 = [[仙台高等工業学校]]教授<br/>[[東北帝国大学]]教授・工学部長<br/>[[宮城県仙台第一高等学校|宮城県仙台第一中学校]]校長<br/>[[仙台城南高等学校|東北電子工業高等学校]]校長<br/>[[東北工業大学]][[学長]]
|現職 =
|所属政党 = 無所属
[[1883年]]([[明治]]16年)[[埼玉県]]出身。[[1908年]]([[明治]]41年)[[東京大学|東京帝国大学]]卒業。
 
[[仙台高等工業学校]](現・[[東北大学]][[工学部]])教授となった後、[[1917年]]([[大正]]6年)から翌年にかけて[[アメリカ合衆国]]に留学した。帰国後は[[東北帝國大学]]の工学部長などを務めて[[1945年]]([[昭和]]20年)に退官、[[1946年]]から[[1950年]]までは宮城県仙台第一中学校(現・[[宮城県仙台第一高等学校]])の校長を務めた。[[1952年]]([[昭和]]27年)から[[1956年]]([[昭和]]31年)まで[[宮城県知事]]を一期務めた。[[1960年]]([[昭和]]35年)に設立した学校法人東北電子学院(現・学校法人東北工業大学)設立発起人会一員理事め、[[1961年]]([[昭和]]36年)の東北電子工業高等学校(現・[[仙台城南高等学校]])の開校および[[1964年]]([[昭和]]39年)の[[東北工業大学]]の開学に尽力し、[[1961年]]4月1日から[[1964年]]10月31日まで東北電子工業高等学校の初代校長を、[[1964年]]([[昭和]]39年)4月1日から[[1967年]]([[昭和]]42年)9月14日に[[腸閉塞]]で逝去するまで[[東北工業大学]]の初代[[学長]]を務めた。[[1967年]]([[昭和]]42年)9月19日[[東北工業大学]]による大学葬が営まれた。
 
== 親族 ==
匿名利用者