「喜びの琴事件」の版間の差分

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同年1963年(昭和38年)11月20日、[[杉村春子]]、[[長岡輝子]]ら[[文学座]]劇団員の臨時総会が開かれ、話し合いの末、『[[喜びの琴]]』上演保留を決定。翌日、[[戌井市郎]]理事らが、その上演保留決定を三島に伝え申し入れた。三島は、保留ではなく中止とすることで、「文学座は思想上の理由により上演中止を申し入れ、作者はこれを応諾した」という証書を取り交わした<ref name="koukai"/>。そして11月25日、三島は戌井市郎理事に文学座退団を申し入れ、11月27日の『[[朝日新聞]]』紙上に、「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」を発表し、上演中止に至る経緯と顛末を書くとともに痛烈な内容で締めくくり、その翌日に[[矢代静一]]、[[松浦竹夫]]も文学座退団を声明した。同年12月15日、三島は『[[週刊読売]]』に「俳優に徹すること――杉村春子さんへ」という記事を発表した。
 
同年12月、三島、矢代静一、松浦竹夫のほか、[[青野平義]]、[[奥野匡]]、[[荻昱子]]、[[賀原夏子]]、[[北見治一]]{{refnest|group="注釈"|[[北見治一]]は『回想の文学座』{{Harvnb|北見|1987}}で、当事者としての見解を述べている。}}、[[丹阿弥谷津子]]、[[寺崎嘉浩]]、[[中村伸郎]]、[[仁木佑子]]、[[真咲美岐]]、[[南美江]]、[[宮内順子]]、[[水田晴康]]、[[村松英子]]ら10数名が次々と文学座を正式に脱退する。1964年(昭和39年)1月10日に脱退者によりグループNLT([[1968年]]に[[劇団NLT]]として再編)が設立され、[[岩田豊雄]]([[獅子文六]])、三島が顧問として迎えられた。NLTとは[[ラテン語]]で「新文学座」を表すNeo Litterature Theatreの[[頭文字]]で、岩田豊雄により命名された<ref name="jiten">今村忠純「NLT」({{Harvnb|事典|2000|pp=462-463}})</ref>。
 
なお、『[[喜びの琴]]』は1964年(昭和39年)5月7日に、[[日生劇場]]で[[浅利慶太]]の演出により上演された。