「小沢一郎」の版間の差分

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*「僕は選挙担当だから。選挙以外のことは駄目」<ref>{{Cite web|url=http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/seikyoku/2009/20090607.html|title=民主代表辞任から1カ月/鳩山体制で役割明確化|publisher=[[東奥日報]]|date=2009-06-07|accessdate=2015-04-01}}</ref>。
*「担ぐミコシは軽くてパーがいい。担ぎ手の思うがままに動く」。首相時代の海部俊樹を指したものと誤解されることがあり、海部自身も後年の回想録で自分を指した発言であると誤解しているが<ref>海部俊樹『政治とカネ 海部俊樹回顧録』新潮新書、2010年、po.101-102</ref>、実際には1982年の自民党総裁選で田中派が中曽根康弘を支持した際の[[オフレコ]]発言である。1994年になって政治記者の[[田崎史郎]]が発表した記事によって、初めて明らかになり、話題となった<ref>田崎史郎「小沢一郎との訣別」『文藝春秋』1994年10月号</ref><ref>田崎史郎『政治家失格 なぜ日本の政治はダメなのか』文春新書、2009年、pp.143-144</ref>。なお、側近の平野貞夫は海部政権時代の1990年に自身が新聞記者に発した言葉が誤って伝わったと2008年になって主張しているが<ref>平野貞夫「誰も知らない小沢一郎の行動原理」『新潮45』2008年3月号、p.168</ref>、前述のとおり「担ぐミコシは〜」発言の記事を発表した田崎のオフレコメモでは1982年の小沢発言と明記されており、「おれたちは党だけでなく、内閣をとるつもりで、中曽根を選んだ」と中曽根を名指しした台詞まである。
*「私は[[人民解放軍]]の野戦軍[[司令官]]として頑張っている」2009年12月10日北京市内の[[人民大会堂]]で[[胡錦涛]]軍委主席との会談において。<ref>[[産経新聞]] 2009年12月11日 政治面</ref>
*「日本国民として謝罪しなければならない歴史的事実だ」(2009年12月12日韓国ソウル, [[国民大学校]]講演で日本の韓国植民地支配に触れ)<ref>[[東京新聞]] 2009年12月12日 夕刊 政治面</ref>
*「天皇陛下も '[[桓武天皇]]の生母は百済の王女だった' と認めている」(2009年12月12日韓国ソウル, [[国民大学校]]講演)<ref>{{Cite web|url=http://www.sankei.com/politics/news/140211/plt1402110003-n1.html|title=小沢氏、皇室と韓国の関係で事実誤認|publisher=[[産経新聞|産経ニュース]]|date=2014-02-11|accessdate=2015-04-01}}</ref>。