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==== オウム真理教結成 ====
[[1987年]](昭和62年)[[7月]](32歳)にはヨーガ系でいきたいという大半の信者の意向が大半を押し切り、[[仏教]]系でいくとして{{Sfn|門田|p=181}}、「オウム神仙の会」を「[[オウム真理教]]」に改称し{{Sfn|高山|2006|p=160}}、布教活動を展開。自著、[[オカルト]][[雑誌]]への広告記事を利用し徐々に信者を獲得していった。同年、[[日本テレビ]]『[[鶴ちゃんのプッツン5]]』に超能力者として出演。さらに[[ダライ・ラマ14世]]と親交のある[[ペマ・ギャルポ]]に接近。「自分の修行がどの程度のものなのか[[チベット仏教]]の長老に見ていただきたい」と申し出、[[ダラムサラ]]の宗教・文化庁を紹介される{{Sfn|高山|2006|pp=149-150}}。現地で長老らと一緒に瞑想した結果、高く評価され、ダライ・ラマ14世との接見を数回行っており、接見の様子を宣伝に利用することとなる<ref>『「オウム真理教」追跡2200日』p.145-152「ダライ・ラマ側近の証言」。</ref><ref>『オウム真理教事件 - 宗教者・科学者・哲学者からの発言 (仏教・別冊)』[[法藏館|法蔵館]]、1996年、pp.4-5</ref>
 
また1988年(昭和63年)(33歳)同年7月莫大なお布施によりインドで[[カール・リンポチェ]]と会うことに成功する。リンポチェにはあまり褒めてもらえなかったが、この際に麻原はリンポチェからヴァジラヤーナの殺人肯定の教えを聞き説法され大きな影響を受け、帰国後には「これからは、ヴァジラヤーナの掟だ!」と叫びなから[[新実智光]]ら男性幹部に暴力をふるっていた{{Sfn|門田|p=156}}。
1988年(昭和63年)(33歳)、[[ダライ・ラマ14世]]と親交のある[[ペマ・ギャルポ]]に接近。「自分の修行がどの程度のものなのか[[チベット仏教]]の長老に見ていただきたい」と申し出、[[ダラムサラ]]の宗教・文化庁を紹介される{{Sfn|高山|2006|pp=149-150}}。現地で長老らと一緒に瞑想した結果、高く評価され、ダライ・ラマ14世との接見を数回行っており、接見の様子を宣伝に利用することとなる<ref>『オウム真理教事件 - 宗教者・科学者・哲学者からの発言 (仏教・別冊)』[[法藏館|法蔵館]]、1996年、pp.4-5</ref>。
 
また、同年には莫大なお布施によりインドで[[カール・リンポチェ]]と会うことに成功する。この際に麻原はリンポチェからヴァジラヤーナの殺人肯定の教えを聞き大きな影響を受け、帰国後には「これからは、ヴァジラヤーナの掟だ!」と叫びなから[[新実智光]]ら男性幹部に暴力をふるっていた{{Sfn|門田|p=156}}。
 
==== マハーヤーナとヴァジラヤーナ ====