「日運寺」の版間の差分

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== 由緒 ==
古くは勝栄坊と称する真言宗(天台宗とも<ref>千葉県安房郡誌p822</ref>)の堂宇で、[[文永]]11年11月5日、[[日蓮]]が鎌倉より小湊への帰路宿泊し、住職行然が難問抗論するが、日蓮が法華の真理を以って説いたことにより敬服し[[日蓮宗]]に改宗した<ref>千葉県誌巻上p553、千葉県安房郡誌p822</ref>。[[元亀]]2年([[1571年]])[[勝浦城]]主[[正木時通]]の子で僧の林清を中興開山<ref>千葉県誌巻上p553、また、天正年間に正木頼忠の兄重郎が僧となっておりこれを住職としたとある(千葉県安房郡誌p822)</ref>とし、正木時通・[[正木頼忠|頼忠]]兄弟が再興し「勝栄山日運寺」とした。のちに徳川幕府より寺領13石の朱印地を給せられた<ref>千葉県誌巻上p553</ref>。
 
== 文化財 ==