「理美容」の版間の差分

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床屋の発祥は[[山口県]][[下関市]]と謂われており、『髪結職文由緒書』によれば采女之亮政之(うめのすけまさゆき)が[[朝鮮半島]]の[[新羅]]人から技術を習得し髪結所を開業したのが始まりとされる。店の中に床の間を設け[[亀山天皇]]と藤原家を奉る祭壇があり、人々は“床の間のある店”から転じて“床屋”という屋号で呼ぶようになったという。采女之亮はその後[[鎌倉]]に移り、[[鎌倉幕府]]からも重用されるほどになったと謂われている。[[江戸時代]]の床屋について詳しくは「[[髪結い]]」の項を参照のこと。
* “床”という言葉が性的な意味合いも持つ為か、「以前は性風俗店も行っていたから」という俗説があるが間違いこれは'''悪質なデマ'''である。
** ただし、[[アジア]]の一部では女性従業員によるマッサージ店や性的なサービスを提供する男性客対象の[[風俗店]]の役割を持っている場合がある([[頽廃理髮所]])。しかし理美容店がそういった業種も兼務している場合もあるというだけで、'''床屋という言葉の意味や由来には関係しない。'''
** また、以上の俗説から[[放送禁止用語]]とされてしまう場合がある。このことには過激な自主規制や[[言葉狩り]]の一種はないかという意見もあり、[[有川浩]]の小説『[[図書館危機]]』の中でもテーマの1つとして取り上げられている。
 
'''散髪屋'''(さんぱつや)いわゆる'''理髪店'''(りはつてん)は、日本においては[[明治維新]]による[[文明開化]]の折に[[横浜]]に開業したものが第1号とされる。