「連合国軍最高司令官総司令部」の版間の差分

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また、新聞やニュース番組などを通じて日本軍の戦時中の非道を繰り返し報道させ、国民の戦意を全く喪失させると共に、国民の贖罪意識を増幅させる厭戦工作を行ったと[[江藤淳]]が主張し、これを[[ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム]](「戦争への罪悪感に関するプログラム」)と称して著書にしている。戦争末期に[[コーデル・ハル]]は「日本をアジア解放に殉じた国と思わせてはならない」と[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領に進言したという<ref>高山正之『ジョージ・ブッシュが日本を救った』</ref>。
 
日本国民に対しアメリカ文化の浸透を図るべく、[[アメリカ合衆国の映画]]の統括配給窓口会社[[セントラル映画社|CMPE]] (Central Motion Picture Exchange) を東京に設立した。このCMPEに一時在籍した[[淀川長治]]によれば、「忘れもしないメイヤーという名の支配人は映画より国策に心を砕く、あたかもマッカーサー気取りの中年男だった」そうで、ヨーロッパ映画びいきの記者を試写から締め出したりの傲岸不遜振りに、[[1952年]](昭和27年)にこの会社が解体された際は映画関係者たちは喝采を挙げたという。一方で国産映画は、終戦後の焼け野原や進駐軍による支配を示す情景を撮影することが禁じられたため、長い間街頭ロケすらできない状態に置かれた。
 
子供達の文化媒体であった[[紙芝居]]では、「[[黄金バット]]」の「髑髏怪人」というキャラクターを、「[[スーパーマン]]」のような「たくましい金髪碧眼の白人キャラクター」に一時期変更させている。しかしこれは全く支持されることなく無視された。
 
=== 非軍事化 ===