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'''白村 明弘'''(はくむら あきひろ、[[1991年]][[12月11日]] - )は、[[北海道日本ハムファイターズ]]に所属する[[岐阜県]][[美濃加茂市]]出身の[[プロ野球選手]]([[外野手]])。右投左打。
== 経歴 ==
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実父の信幸は[[日本体育大学硬式野球部]]のOBで、[[美濃加茂中学高等学校|美濃加茂中学校]]の軟式野球部監督<ref>[http://www.minokamo.ed.jp/junior/junior-bukatsu/1660.html 美濃加茂中学校軟式野球部]</ref>。明弘自身は美濃加茂市立東中学校へ進学すると、岐阜ビクトリーズに所属した。同チームでは、中学3年時の夏まで外野手や[[遊撃手]]としてプレー。後に投手へ転向したが、[[速球|ストレート]]は当時から139km/hを計測していた<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/all/2013/columndtl/201310160012-spnavi sportsnavi 慶大・白村明弘 153キロ右腕プロへの確信 広島、中日がマークするドラフト1位候補 2013年10月18日 (2014年6月21日【観覧】)]</ref>。
中学校からの卒業後に、[[神奈川県]]の[[慶應義塾高等学校]]へ進学。進学の直後から対外試合でベンチ入りを果たすと、1年生ながら[[速球|ストレート]]で最速142km/hを記録した。2年時の春からは、3季連続で[[阪神甲子園球場]]の全国大会へ出場。ただし、2年春
大学時代には、入学の直後に右肩を痛めながらも、1年時の秋から[[東京六大学野球連盟|東京六大学野球]]のリーグ戦に登板。[[クローザー]]として、ストレートで最速153km/hを記録した。2年時には[[セットアッパー]]として活躍。春季リーグ戦での優勝によって出場した[[全日本大学野球選手権大会]]では、先発登板も経験している。しかし、「(当時生活していた硬式野球部の合宿所で)チームの規律を乱す行動があった」<ref name="noSNS">{{Cite web|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20131116/fig13111605040000-n2.html|title=スマホやめます!日本ハム・ドラフト6位白村、野球一筋宣言|publisher=参詣する|accessdate=2019-02-20}}</ref>という理由で、2年時の秋季リーグ戦期間中にNPB経験者の[[江藤省三]]監督から自主休部を勧告される。3年時の7月末まで、10ヶ月もの謹慎を余儀なくされた<ref name="sponichi20150810">{{Cite web|url= http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/08/10/kiji/K20150810010910590.html|title=大谷に劣らぬ大器!?栗山監督が期待する2年目右腕・白村|publisher=スポーツニッポン |accessdate=2015-08-11}}</ref>。謹慎が明けた3年時の秋季リーグ戦では、通算投球イニング47回2/3で、4勝2敗、防御率2.45、リーグ最多の51奪三振をマーク。4年時に調子を落としたものの、在学中にはリーグ戦39試合の登板で、12勝11敗、防御率2.92を記録した。
[[2013年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2013年のNPBドラフト会議]]で、投手として[[北海道日本ハムファイターズ]]から6巡目で指名。契約金3,000万円、年俸750万円(金額は推定)という条件で入団した
=== 日本ハム時代 ===
{{by|2014年}}には、公式戦を二軍でスタート。[[イースタン・リーグ]]公式戦では、開幕から6月中旬まで15試合に登板すると、
{{by|2015年}}には、一軍公式戦の開幕に出遅れたものの、4月中旬に昇格してからは救援要員として50試合に登板。[[6月27日]]の対西武戦から[[8月13日]]の同カード(いずれも[[西武ドーム|西武プリンスドーム]])までの登板16試合をすべて無失点で凌いだほか、1勝1敗13ホールド、防御率2.03という好成績を残した。
{{by|2016年}}には、故障やコンディション不良が相次いだ影響で、レギュラーシーズンの途中から一軍へ昇格。一軍公式戦では22試合の登板で1ホールドにとどまりながらも、3勝1敗、防御率2.63を記録した。
{{by|2017年}}には、春季キャンプ中の紅白戦から[[オープン戦]]まで好調だった<ref>{{Cite web |date=2017-03-23 |url= https://www.nikkansports.com/baseball/news/1796392.html|title= 日本ハム白村「自信になる」11試合連続無失点継続|publisher= 日刊スポーツ|accessdate=2019-02-19}}</ref>にもかかわらず、6月の[[セ・パ交流戦]]終盤から一軍に合流。合流当初の一軍公式戦にはもっぱら救援で登板していたが、[[7月22日]]の対西武戦([[西武ドーム|メットライフドーム]])から[[先発投手]]に転向した。プロ入り後に登板した一軍公式戦90試合目での先発デビューであった<ref>{{Cite web|url=https://baseballking.jp/ns/125154|title=日本ハム・栗山監督、白村の先発転向は「反対されていたけど…」|publisher=BASEBALL KING|accessdate=2019-02-20}}</ref>が、転向後2試合でいずれも敗戦投手になったため、8月中盤から救援に復帰。結局、前年を上回る24試合に登板しながら、1勝3敗1セーブ1ホールド、防御率4.62を記録するなど精彩を欠いた。
{{by|2018年}}には、右肩に違和感を抱えていた影響で、一軍公式戦への登板機会が3試合にまで減少。シーズン終了後の秋季キャンプにも参加できなかった<ref name="upside">{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/03/kiji/20181203s00001173278000c.html|title=日本ハム白村 逆立ちトレ復活「見た目より本当にきつい」|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2019-02-20}}</ref>。
{{by|2019年}}には、投手として二軍の春季キャンプに参加。キャンプ中の[[2月16日]]に催された紅白戦に登板すると、1イニングを無失点に抑えていた。しかし、キャンプ終盤の[[2月18日]]に、二軍キャンプを視察した一軍監督の[[栗山英樹]]と[[ゼネラルマネジャー]]の吉村浩から打者への転向を突然打診。栗山と吉村がかねてから検討を重ねたうえでの打診で、本人もすぐに受諾したため、翌[[2月19日|19日]]には野手に転向することが決まった。3月12日付けで正式に外野手として公示された。<ref name="convert">{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/02/19/kiji/20190219s00001173207000c.html|title=6年目の日本ハム・白村 野手転向が決定「突然の話」も「監督の熱意に負けた」|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2019-02-20}}</ref>
== 選手としての特徴 ==
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投手としては、身長187cmの長身から[[オーバースロー]]で投げ下ろす[[速球|ストレート]]と[[フォークボール]]が持ち味<ref name="fork">{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/08/10/kiji/K20150810010910590.html|title=大谷に劣らぬ大器!?栗山監督が期待する2年目右腕・白村|newspaper=|publisher=スポニチ Sponichi Annex|date=2015-08-10}}</ref>。ストレートの平均球速は140km/h台後半<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140616-1318864.html nikkansports.com ハム栗山監督「見たい」新人白村を昇格へ 2014年6月16日 (2014年6月21日 観覧)]</ref>(最速154km/h)<ref name="fork" />だったが、日本ハムの入団2年目(2015年)に一軍公式戦で自己最多の50試合登板を果たしてからは、投球フォームが安定せずに低迷していた<ref name="upside" />。
その一方で、中学生時代に2試合連続でランニング本塁打を放ったほどの走力と、高校・大学生時代に投手ながら打線の中軸
遠投120メートル、50メートル走6秒1<ref>https://full-count.jp/2015/10/23/post20783/2/</ref>。
== 人物・エピソード ==
中学生時代に2試合連続で放ったランニング本塁打では、いずれもダイヤモンドを一周中に前の走者を追い抜いたため、審判員からアウトを宣告された。そのため実際には本塁打ではなくなっている<ref>{{Cite web |date=2019-02-19 |url= https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902190000780.html|title= 野手転向の日本ハム白村に監督「ポテンシャル評価」|publisher= 日刊スポーツ|accessdate=2019-02-19}}</ref>。
大学時代には、トレーニングメニューに[[逆立ち]]を入れていた。重心のバランスを感じることと、背中の筋肉を鍛えることが目的で、日本ハム入団後の2018年末から自主トレーニングで再び取り組んでいる<ref name="upside" />。
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大学4年生として臨んだ2013年のNPBドラフト会議では、一部の球団が3巡目までに指名することが予想されていた。実際には3巡目を過ぎても指名する球団がなかったため、実弟から[[電子メール]]で「プロ([[NPB]])をあきらめろ」というメッセージが送られる有様<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/25/kiji/K20131025006876520.html sponichi 白村まさか指名に涙「3位までに呼ばれず諦めていた」 2013年10月25日 (2014年6月21日【観覧】)] </ref>だったが、6巡目でようやく日本ハムから指名された。東京六大学のリーグ戦にエースとして活躍した投手では異例の下位指名だったが、指名の直後には、「今後は外部と連絡を取らずに、野球に集中したい」と決意。それまで利用していた[[twitter]]のアカウントを閉鎖する<ref name="noSNS" />など、入団に前向きな姿勢を示した<ref>[http://draft-kaigi.jp/draftnews/npb-draftnews/fighters-draftnews/15118/ 北海道日本ハム6位指名、慶大・白村明弘投手は入団に前向き]</ref>。
同じくプロ野球選手の[[大瀬良大地]]、[[九里亜蓮]]、[[岩貞祐太]]、[[杉浦稔大]]とはプロ入り前から交友がある<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/all/2013/columndtl/201310160012-spnavi?page=2 sportsnavi 慶大・白村明弘 153キロ右腕プロへの確信 広島、中日がマークするドラフト1位候補 2013年10月18日 (2014年6月21日【観覧】)]</ref>。
日本ハム投手時代の[[2018年]][[2月25日]]には、[[東京ヤクルトスワローズ]]とのオープン戦([[浦添市民球場]])に登板。同点で迎えた9回裏
== 詳細情報 ==
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