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[[1938年]](昭和13年)6月、[[東宝映画]]に入社。同社第1作は[[川口松太郎]]原作・[[成瀬巳喜男]]監督の『鶴八鶴次郎』で、[[長谷川一夫]]と三味線弾きの夫婦に扮し、気は強く情にはもろい女芸人気質を好演した<ref name="キネ旬2">[[#キネマ旬報1980|キネマ旬報1980]]、p.726</ref>。それ以来、『蛇姫様』『昨日消えた男』『[[婦系図#1942年版|婦系図]]』などで長谷川とコンビを組んだ。そのほか『新篇丹下左膳』シリーズでは[[丹下左膳]]役の大河内の相手役を演じ、[[渡辺邦男]]監督の『新妻鏡』、成瀬監督の『上海の月』ではヒロインを演じた。スターとして揺るぎない地位を占めたが、夫の月田は役に恵まれず、夫婦の収入に差が生じるようになり、夫婦仲も次第に亀裂が入る<ref name="キネ旬2" />。[[1940年]](昭和15年)には別居し、娘の美和子は月田家が引き取った<ref name="ノート" />。[[1942年]](昭和17年)に月田と離婚し、映画製作者の[[滝村和男]]と結婚するが、1年余りで離婚した<ref name="キネ旬2" /><ref>[[#山田2000|山田2000]]、p.160</ref>。
 
1942年(昭和17年)、長谷川と共に[[新演伎座]]を結成。3月に[[東京宝塚劇場]]で[[菊田一夫]]作『ハワイの晩鐘』、川口作『お島千太郎』で旗揚げして以降、『伊那の勘太郎』『[[姿三四郎]]』などの舞台に立ち、[[太平洋戦争]]末期には軍の慰問にも回った<ref name="キネ旬2" />。翌[[1943年]](昭和18年)、[[花柳章太郎]]主演の『[[歌行燈# (1943年の映画)|歌行燈]]』に出演するが、この共演を機に花柳と恋愛関係に陥った<ref name="キネ旬2" />。
 
===戦後・演技派女優へ===
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* 待って居た男(1942年、東宝映画)
* [[婦系図#1942年版|婦系図]](1942年、東宝映画) - お蔦
* [[歌行燈# (1943年の映画)|歌行燈]](1943年、東宝映画) - お袖
* 芝居道(1944年、東宝) - 竹本花龍
* [[佳日|四つの結婚]](1944年、東宝) - 宏子