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=== 女性・家族政策 ===
東ドイツにおける女性と家族政策に関する法律は、[[1950年]]に決議された「{{仮リンク|母子保護および女性の権利に関する法律|de|Gesetz über den Mutter- und Kinderschutz und die Rechte der Frau}}」である。[[仕事]]と[[家族]]の両立は、東ドイツの女性にとっては、あたりまえのことと考えられており、重点的に助成されていた。[[1989年]]までに約92%の女性が職業に就いており、[[西ドイツ]]の女性よりも[[就職率]]は明らかに高かった。女性の就業社会進出を推し進めたのは、男女同権という社会主義の考えを反映してものであったが、他方では、東ドイツの国民が西側に大量に流出した事で労働需要力不足に陥ったものを補うためという側面のであった。不釣合いなほどに多くの男性の専門労働者が、早い段階で東ドイツを見限って逃亡していたのである<ref>Mary Fulbrook, ''Ein ganz normales Leben. Alltag und Gesellschaft in der DDR.'' Darmstadt 2008, S.&nbsp;167 (engl. Originalausgabe: New Haven and London 2005).</ref>。もっとも、管理職の地位についている女性の数は、明らかに男性よりも少なかった。
 
女性の職業参加を促進するために、例えば託児所・保育園の大規模な拡充が行われたり、家族をもつ学生に対する特別な教育や就学プランが作られたりした。{{仮リンク|家族政策|de|Familienpolitik}}という枠組みで、国家は、まず第一に子供のいる[[夫婦]]に対して、特殊なローンや優先的な住居の割り当てなどを行うことで、促進した。中絶問題に関しては、女性には[[1972年]]に導入された中絶法によって、最初の12週間以内での中絶が許可されるようになった。しかしそれにも関わらず、[[1973年]]から[[1980年]]のあいだに出生数は、3分の1ほど増加した<ref>[[1973年]]は180,336人だったが、[[1980年]]には245,132人となった。参照:Mary Fulbrook: ''Ein ganz normales Leben. Alltag und Gesellschaft in der DDR.'' Darmstadt 2008, S.&nbsp;173 (engl. Originalausgabe: New Haven and London 2005).</ref>。